天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ネット板反論所感20首魁応援ベクトルは私の応援ベクトルとはまったく正反対でそのベクトル合成は不可能

2010-02-11 23:09:44 | 日記
今日の追加日記は、ネット掲示板に投稿された書き込み及び要望に対して、私が衷心より反論と自身の所感20(首魁応援ベクトルは私の応援ベクトルとまったく正反対で、そのベクトルの合成は不可能)を述べます。以下に、その投稿を掲載します。
・客C『おじさんはかつてベクトルという用語は比喩的に用いることは許されないと言っていたような気がするのですが。たとえWikipediaにその用例が載っていてもです。それはさておいても、ベクトルという用語を比喩的に用いるとどうして論点ずらしが正当化されるのか全く分かりません。』
・客D『今日の愚ログはおかわりあるかな?』
私は『 ベクトル空間(大きさだけでなく向き)を認めるならば、客Bが言及する「論点ずらし」そのものの行為は、討論の場でのその向きの違いを具現化しています。ゆえに、論点ずらし行為は、ベクトル空間では完全に正当化されます。』と述べています。私は、さらにそれを詳細に追加説明します。
ベクトル空間では、向き(→)方向性とその力の大小が二次元的に表示されています。討論の場でも、その各論を賛成(+)反対(-)の二分化し、各論の論理趣旨を方向化すれば、ベクトル化された二次元的な論理空間となります。その場では、論点ずらし行為の意見(注:その空間における向きは極端化しているが)も空間場において表示可能となります。
このような空間では、悪行親衛隊首魁の応援ベクトルは、私の応援ベクトルとはまったく正反対となり、そのベクトル合成は完全に不可能な空間です。
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ネット板反論所感19(”信は真に通ず”の願いはまったくの世迷言か?そうであれば私は未練なし)

2010-02-11 19:55:00 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿された書き込みに対して、私が衷心より反論と自身の所感19(”信は真に通ず”の願いはまったくの世迷言か?そうであれば私は未練なし編)を述べます。以下に、その投稿を掲載します。
・客A『自分のブログの管理人までやってもらってる客を切るわけねぇだろ 馬鹿オヤジ 』
・客B『携帯で話し中の相手に話しかけることの迷惑さ、しかも劇場外で踊り子さんに話しかけることの非常識さという指摘に反論せず、論理学云々を長々と論じるとは…。論点ずらしはいつもと同じベクトルです。』
(1).もし、客Aの言っている事が真実であれば、私の”信は真に通ず”の願いは、まったくの世迷言になります。それがまったくの私の世迷言であったのか?私はもう一度、最後の確認をしたいので、ここに私が過去に劇場でTY嬢の行動を目撃したその出来事を忠実に述べます。
(2).2009年3月22日(日)都内某劇場TY嬢第一回目舞台撮影会:TY嬢が『当った!』と私に語る。私は彼女の演技中に彼女と接触した覚えがまったくなく、当ったものが何かも不明で、何でこの言葉を私にかけたのか?私にはさっぱり判らなかった。尚、その時、悪行親衛隊首魁はその撮影会に参加せず、彼女とは何も話をしていない。
(3).第二回目舞台撮影会:私のその疑問は、TY嬢が撮影しようとする首魁に『体にリボンが当ったわよ!こんなことされたら、怖くてステージできないよ!慰謝料を払ってもらうよ!』と抗議発言したことで、完全に氷解した。その突然の糾弾に首魁はただ呆然として『・・・』何の言葉も発しなかったです。慰謝料とは、単なる身体的な治療費だけでなく精神的なダメージまで賠償する補償金です。ここまでTY嬢に言われも、首魁は男としての矜持がまったく無いのか、その時何の弁明もしなかったです。
(4).第二回目舞台終了後:ビール販売を行なっていた別の劇場演技者女性二人に、首魁はそのビールを差し入れした後、最後までTY嬢の観劇せず途中で退出した。その出て行く首魁の後ろ姿を、舞台出入口カーテンの隙間からじっと見ている楽屋からの人の目があった。
(5).私は携帯で話し中の相手(TY嬢)に話しかけましたが、別に返事を要求してその言葉をかけていません。単に私から彼女に挨拶をしただけです。携帯で話し中の相手だからといって、何も言葉をかけなかったら、逆に失礼な態度になります。私は、TY嬢には黙って頷いてもらえばいいと、思って声をかけました。私のこの行動は、客Bが言っている彼女の何ら迷惑になっていません。
(6).客Bが使った『ベクトル』は、過去のネット板の討論でも悪行客が間違って多用していました。『ベクトル』とは「空間における、大きさと向きを持った量」の意味です。転じて一般的に、方向性、矛先などの意味でも使われています。 客Bがベクトル空間(大きさだけでなく向き)を認めるならば、客Bが言及する「論点ずらし」そのものの行為は、討論の場でのその向きの違いを具現化しています。ゆえに、論点ずらし行為は、ベクトル空間では完全に正当化されます。客Bは自己のその論理的矛盾を知らず、『ベクトル』を単に特徴・資質だけの意味と思い、間違ってその言葉を使っています。変に間違った理科的知識を持った悪行客には、正しい日本語や礼儀をまったく理解できないのでしょう。
(7).もし客Aの言っている事が真実であれば、私の思いはまったく夢物語であったことになります。そうであれば、私はこの劇場社会に、もう何ら未練はないです。
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