天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

小沢幹事長は自身出処進退で西郷隆盛が語った『そいじゃ、おいの体を上げまっしょう』の潔さを見習うべし

2010-02-04 22:45:43 | 日記
今日の日記は、資金管理団体の土地購入をめぐって東京地検の捜査を受けたものの不起訴処分となり、幹事長続投を表明した民主党小沢一郎幹事長の政治家としての出処進退のことです。
小沢幹事長は、自身ウェッブサイトの「信条と揮毫」に 『若い頃から歴史に興味があり、幕末から明治維新にかけての色々な書物を読んだが、なかでも維新の功労者、西郷隆盛の「敬天愛人」「至誠通天」という言葉が好きだ。』と書いています。小沢幹事長は歴史好きで西郷隆盛の生き様に好感を持ったから、自身のブログにその名言を政治信条に掲げたのでしょう。でも、小沢幹事長の今まで言動からは、西郷隆盛を信奉している政治家の姿を私はまったく見出せません。
私は、彼に司馬遼太郎著『翔ぶが如く』から、明治新政府に挙兵した(西南戦争)時、西郷が私学校の幹部たちに自分の決意を告げたことば『そいじゃ、おいの体を上げまっしょう』を捧げたいです。名著『翔ぶが如く』では『西郷が、決断にあたって、自分の体を持ってゆけ、という意味のことしか言わなかったということは、西郷の心事をもっともよく語っていると思えるし、このことばはひろく鹿児島の口碑になってのこっている。』と、とても潔い西郷像を語っています。
でも、小沢幹事長の全ての悪行を部下の秘書の不始末に転嫁し、彼らに罪を押し付ける政治姿勢からは、一片の西郷像も私は見出せません。政治家は自ら語る言葉が信条と見なされ、そしてそれが命になります。だから、自らの語りに信なけば、民はついてきません。私は、小沢幹事長に潔い出処進退を切に望みます。
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