天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ネット板所感12(虚像周辺と対立側を調べ大きな驚きを感じた司馬氏は子供向けから読む嗜好を持たない)

2010-02-05 23:04:11 | 日記
今日の日記は、ネット掲示板に投稿された書き込みに対して、私が衷心より反論と自身の所感を述べます。以下に、その問題投稿を掲載します。
・客X『子供向けから読んでたなんて、ますます聡明さが。新しいことを学ぶ時には、司馬りょうたろうも、そうしてたらしいよ。』
・客A『本当に馬鹿な奴だな○○○ 司馬を読んだことないから知らないだろうけど、司馬のエッセイに、司馬本人がそう書いてんだよ さあ、検索してごらんなさいな 』
・客B『おい、司馬の件は、どうした。検索したんだろ』
・客C『おい、おやじ 司馬が子供向けの本で云々に対する回答は、どうした?検索したら、翔ぶが如くが出てきたかw 』
客X・A・B・Cらが言及する司馬遼太郎氏の「新しいことを学ぶ時には、子供向けから読んでいた」とする読書癖は、私はとても信じられない珍説です。以下に、その反論傍証を私は挙げます。
歴史小説家である司馬さんが「新しいことを学ぶ」という行動とは、小説題材の歴史的資料を集めその内容をよく租借し吟味する読書行為や、その歴史人物の生きた痕跡を尋ねての聴き取り調べを指していると私は思います。だから、司馬さんがこの行動を取る時、私には司馬さん自身が「子供向け書籍から読んで学んでいる」と語ったとは、到底考えられません。司馬さんが歴史の人物や出来事を小説化する時に起きた有名なエピソードを、以下に紹介します。
(1).小説『竜馬がゆく』を新たに執筆する際、知り合いの神田古本屋店主に「坂本龍馬に関する書籍」を何でもいいから収集してほしいと依頼し、司馬さんの自宅へトラック数台に満載したその資料が届けられた。尚、この小説が世に出る前まで、坂本龍馬はそれほど有名な歴史的人物でなく、司馬さんの小説により坂本龍馬が一躍脚光を浴びるようになったのです。だから、司馬さん自身も「新しいことを学ぶ」身の上でした。そして、この膨大な資料の中に「子供向け書籍」があったとは私にはまったく考えられません。
(2).小説『坂の上の雲』を新たに執筆する際、同じように「日露戦争に関する書籍」を司馬さんが大量に収集した為、同じ頃同じ題材で戯曲化しようと資料集めしていた井上ひさしさんが何もその資料を手に入れられ無かった。同じようにこの集められた資料の中に、「子供向け書籍」があったと思えません。
(3).このように、司馬さんが小説を執筆する時の資料集めの執念はすさまじく、生涯に何千万円単位という巨費を投じて、執筆資料を買い集めていました。そして、彼の死後開設された司馬遼太郎記念館には、司馬さんが集めた4万冊に及ぶ本が収集されています。でも、この4万冊の蔵書の中には、数冊?ぐらいは子供向けの書籍があるかも知れません。
(4).司馬さんは『翔ぶが如く』7巻(1976年10月文藝春秋刊)で『日本の統治機構について』と題した「あとがき」で次のように語っています。
『この作品では、最初から最後まで、西郷自身も気づいていた西郷という虚像が歩いている。それを怖れる側、それをかつぐ側、あるいはそれに希望を託す側など、無数の人間現象が登場するが、主人公は要するに西郷という虚像である。虚像と対立する側や虚像の周辺を調べてゆくうちに、私自身の中で、大小の驚きが連続した。ついに私自身が驚くために書いているような奇妙な気持さえ持った。書きはじめて四年数ヶ月という永い歳月を費やしたが、その実感はない。驚いているうちについつい終わってしまったという呆然とした気持ちの中にいま居る。』
自著を脱稿した時、このような感慨を持った小説家・司馬さんが「新しいことを学ぶ時には、子供向けから読んでいた」とその心境を吐露したと、私には到底思えません。
コメント
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