天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

「鳥取は人いるか」石井一氏発言は美しい「因幡の采女」を知らないまったく歴史認識を欠如した品格無き暴言

2010-02-24 00:12:30 | 日記
今日の追加日記は、民主党石井一選挙対策委員長(参院議員)の「鳥取、島根県はチベット」発言のことです。以下に、今日のその読売新聞朝刊記事を掲載します。
『--「鳥取・島根は人いるのか」民主・石井一氏--民主党の石井一選挙対策委員長は22日、都内で開かれた川上義博・同党参院議員(鳥取選挙区)のパーティーであいさつし、「鳥取県とか島根県と言ったら、日本のチベットみたいなもので、少し語弊があるかもわからないが、人が住んでいるのか。牛が多いのか。山やら何やらあるけど、人口が少ない所」と述べた。川上氏が夏の参院選に向けて鳥取選挙区の候補者を発掘したため、保守地盤の鳥取での活動を評価した発言とみられる。しかし、会場からは「失礼だ」との声もあがった。』
この石井一氏の発言に対して、「地方軽視も甚だしい。強く抗議する」(鳥取県市長会)や「両県とチベットにとって極めて侮辱的だ。思い上がった発言で、謝罪のうえ、撤回すべきだ」(自民党の石破政調会長:衆院鳥取1区)等の多くの批判が、その後噴出しました。
でも、鳥取県の過去の歴史が生んだ文化的評価を引き合いにして、石井一氏の間違った郷土の歴史認識を糾した政治家や地方行政の首長は、誰一人として出てきませんでした。
石井一氏は、多くの民主党議員と同様に、まったく日本の歴史を知りません。以下に、司馬遼太郎著『街道をゆく(27)因幡・伯耆のみち』の「因幡采女のうた」より、因幡(鳥取県東半分)の采女に関する逸話を引用掲載します。
『天平のころの皇族に、安貴(阿貴)という名の皇子がいた。・・この人物が、いいとしになって、采女(古代天皇の身辺の世話をする未通の女官で、顔や姿が美しい乙女。実家は地方豪族)に恋したのである。采女は、「因幡の八上(やかみ)采女」というから、八上の郡司級の娘だったのであろう。八上というのは、郡家(こおげ)町あたりと考えていいのではないか。付近に、古墳が多い。安貴王は、逆上してしまった。彼の物狂いの歌も「万葉集」にある。その歌よりも、編者による註の言葉がすさまじい。
「右は、安貴王、因幡の八上采女を娶りて(註・私通と考えてよいか)係念(おもい)極めて甚しく、愛情(うつくしび)尤(もっと)も盛んなり」という。さらに、註にいうに、この恋があらわれて、八上采女は国もとに帰されてしまったのである。・・「万葉集」に飛鳥(明日香)の都の一つの象徴として采女の存在が詠まれている。都が、飛鳥から藤原京に移った当座、既に古都になった飛鳥の都を偲んだ歌で、
「采女の袖 吹きかえす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」・・この歌に、采女の容姿や衣装がいかに美しく、いわばいかに、いかした存在だったかを偲ぶことができる。その中でも、因幡の采女が一段と美しかったであろうことを想像したい。』
民主党の石井一選挙対策委員長は、この党の首脳国会議員と同じように、正しい日本の歴史や伝統的文化をまったく知りません。石井一氏は、古代には因幡・伯耆の国と呼ばれた由緒正しく歴史ある鳥取県を、明治維新以降、酪農開拓を進めた北海道の道北地方と同じ歴史的認識を持って、間違った評価を下しています。「鳥取は人がいるのか」と発言する石井一氏は、古代には美しい「因幡の采女」が存在して、皇子がその采女に恋狂いした歴史的事実をまったく知らないです。
民主党の石井一参院議員は、正しい歴史認識をまったく欠如した品格無き情けない政治家です。
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