天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

私の中国旅行記その16(梨園劇場で京劇初観劇・この梨園ルーツの歌舞伎界が男の世界・出雲阿国の伝承編)

2010-01-29 22:50:48 | 日記
今日の日記は、私の去年末の中国旅行記・続編その16(『梨園劇場』で京劇の初観劇・この梨園がルーツの日本歌舞伎界が男だけの世界・出雲阿国を伝承する劇場演技者たち編)です。
私は、去年12月28日夜夕食後、楽しみにしていた京劇を『梨園劇場』(添付の入場チケット参照)で観劇しました。この劇場は有名ホテルの1階にあり、外国人宿泊客がとても多かったです。上演された演目は3つで約一時間の公演でした。舞台の両脇に電光掲示板があり、中国語と英語で台詞を字幕表示していました。ガイドの胡さんは日本語案内イヤホンガイドをレンタル(70元:約900円)していると教えてくれましたが、私は英語と中国語だけで様子は十分判ると思ったので、それを借りませんでした。やはり、私は舞台を見てよく判ったので、そんなものはまったく不要でした。でも、その内容が判らなくてつまらないか?前列の外人女性客たちの私語のうるささに、私はとても閉口しました。だから、この劇場も客が飽きないように、公演を短い3本立ての演目にしたのでしょう。
残念ながら、京劇の出演者は三人だけでした。そして、映画『さらば、わが愛 覇王別姫』(チェン・カイコー監督 レスリー・チャン主演 1993年香港製作)でレスリー・チャンが演じた女形の「男旦」は登場しませんでした。中国では「男が女を演じるのは不自然」との19世紀ヨーロッパの硬直した性差イデオロギーに強く影響された文化大革命の「男旦」弾劾・禁止令も今だに根強く残っているのでしょう。
その中国京劇『梨園劇場』での女形「男旦」が大きく衰退したのに比べ、その名前「梨園」の謂われである日本歌舞伎界では、当然のこと女性出演禁止の世界ですから、今だ多くの男優が女装して舞台で女を演じています。だから、日本では女形専門の歌舞伎男優が多くいます。
でも、日本歌舞伎界を称する「梨園」という言葉は、中国の唐・玄宗皇帝が長安郊外の梨園の地に歌舞学校を設立した地名が由来です。玄宗は歌を好み、踊りをこよなく愛していたから、その芸人をみずから育成したのです。
この歌舞学校には三百人の生徒が寄宿し、それぞれが音楽、舞踏、演劇のプロを目指して猛勉強していました。玄宗自身も教壇に立ち、生徒に作曲を教え演奏まで指導しました。この学校には男女の区別などなく、それぞれが得意の分野で研鑽していました。だから、現在の京劇には男女の俳優がいます。日本の男だけの歌舞伎の世界とは大きな違いです。
その象徴的な出来事が今日のニュースでありました。歌舞伎俳優・市川海老蔵とニュースキャスター・小林麻央の婚約会見で、記者から婚約女性へ『梨園の妻は大変だというが?』という歌舞伎界への心構えの質問が出たのです。
でも、この男だけの現在の歌舞伎のおおもとを辿れば、江戸時代初期の女性・出雲阿国が創始者で彼女の踊りがそのルーツです。その女性だけの舞台が当時の権力者から弾圧され、男だけの舞台へ歌舞伎が変質していまいました。とても残念な歴史的迫害でした。
でも、その出雲阿国の踊り芸の真髄は、時空を超えて現在の私がこよなく愛する劇場演技者たちに間違いなく伝承されていると私は思っています。『梨園劇場』で京劇を観劇しながら、私はお会いできなくなった劇場演技者女性に、不覚にも思いを馳せてしまいました。
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