天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

天安門近く繁華街「前門」夜間イルミネーションは第一回さっぽろホワイトイルミネーション『希望の灯火』

2010-01-01 18:04:10 | 日記
新年あけまして、おめでとうございます。今年も私の拙いブログを閲覧して頂き、ありがとうございます。今日の日記は、私の中国旅行記・その3です。
12月26日の午後から、私の北京市内観光が始まりました。まず、清朝皇族庭園『頤和園』を見た後、天安門近く繁華街「前門」で、夕食の「中国風しゃぶしゃぶ・火鍋料理」を賞味しました。この羊肉を沸騰した鍋の湯で茹でる「火鍋料理」は、私の印象では日本のしゃぶしゃぶ料理とはちょっと違い、羊の「すき焼き」風料理(注:鍋に入れる食材として白菜や豆腐のもあった)に近いものでした。だから、中国人ツアーガイド(胡さん)は赤味の羊肉の色が白色へ変るまで、鍋で完全に茹でて煮込むよう、観光客に注意していました。でも、食材が羊肉でもあまり臭みがなく、美味しく食べれました。
その夕食後、近くの繁華街「前門」にショッピングに出かけました。その「前門」は20世紀初頭の歴史的な町並みにとても綺麗に復元されていました。旅行ガイドブックによると、最近リニューアルされたそうです。そして、何より私がとても驚いたのは、大通りの街路樹に光イルミネーションが施されていたことです。私が訪問した夜は、クリスマスの翌日でしたので、まだ巨大なクリスマスツリーも残っており、それが多くの光で飾られていました。共産主義国家の中国で、このような光の歓迎を受けるとは、私はまったく想像もしていませんでした。
その時、この光景は以前どこかで見た?ような気がしてきました。その光景とは、昔見た冬の札幌の街角でした。このまだささやかな「前門」の光イルミネーションは、札幌の大通会場のほん一角で始まった第一回さっぽろホワイトイルミネーション(1981年開催)そのものに、その時私には思えました。
私の前の日記『微かな「希望」の灯火、演技者女性を助ける大きな灯火の渦がさっぽろホワイトイルミネーションにまで昇華』での文中のある一節を、以下に引用します。
『20世紀中国の小説家・魯迅は「希望とは、もともとあるものだとも言えないし、ないものだとも言えない。それは地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」と語っています。』
中国人の魯迅が語った「希望」は、このまだささやかな「前門」の光イルミネーションの灯火とまったく同じです。でも、現在の「さっぽろホワイトイルミネーション」と同じように、その僅な灯火が回を重ね賛同者が増えるごとに、その灯火が大きな光の渦になり満天の星のごとく光のイルミネーションの道(中国民主化の道)に変貌するでしょう。だから、30年後の中国は、現在の札幌と同じようにとても魅力的な街に発展すると、私は確信しました。
私の微かな『希望』の灯火を、旅行先の中国「前門」でも、『天』は傷心の私に、はっきりと見せてくれました。だから、現在はまったく微かな『希望』の灯火でも、時を経てきっと多くの賛同支持者を得て、大きな希望の星になると、同じように私は確信しています。
コメント
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