天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

自分の出所進退は自らの信条に照らし自らが判断すること、他人からとやかく言われる筋合いのものではない

2010-01-17 21:21:33 | 日記
私に関係するネット掲示板に、今日の日記に関係して『オヤジも潔く進退を決めろ』との投稿がありました。この投稿者に私は反論します。
私は今日の日記で『小沢幹事長には自ら西郷隆盛のような潔い進退を取ってほしいです。』とその要望を書き込みました。それは、小沢幹事長が、西郷隆盛の言葉を自らのウェブサイトに引用しているくらいだから、政治の師として西郷隆盛の生き方に小沢さんがとても共感したと、私が思ったからです。でも、私の信条とは、西郷隆盛の生き方とは必ずしも合致しません。周囲の者を強く引き付けるとても人間的に魅力のある大人物でも、彼のような生き方は、私には到底できません。また、自分の出所進退は、自らの信条に照らして自らがそれを判断することで、他人からとやかく言われる筋合いのものではないです。
また、司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』を小沢幹事長が読んでいないと思う確証を得た記述(征韓論で敗れた西郷が下野)を、その小説から私は以下に抜粋します。
『西郷の半生をつらぬいている主題はこの隠遁への願望であり、事が私事として面倒になってくると、「もう故郷(くに)に帰る」と言い出し、そのつど、協同者である大久保を手こずらせた。この隠遁願望は生死の課題ともかさなっており、西郷は歴史のなかで自分がなしうる役割というものの限界を心得すぎるほど心得ていて、「もうこの辺でよかろう」ということを、いつの時期においてもその時期の仕事が絶頂に達したときおもった。死については、幕末において自殺の衝動がすくなくとも二度おこっている。幕末の早い時期、井伊直弼の安政大獄の進行に絶望し、かれが京都から保護してきた僧月照と薩摩潟に投身したことはよく知られている。幕末のあとの段階で西郷ぎらいの島津久光が西郷のやったことを非とし、西郷の活動を執拗に封じたとき、大久保でさえこの薩摩藩の特殊事情に絶望し、西郷と刺しちがえてともに死のうとしたほどであった。また明治維新が成立したとき、西郷は自分の歴史的役割が終了したとみた。成功してなお官にいることは革命を栄達のためにすることになり、さらにはまた久光がその点に疑いをもち、激しく非難しつづけていたために、退穏を考え、北海道にコサックを模した屯田軍団を置き、その着想の実現を黒田清隆や桐野利秋らに命じ、自分も、「北海道(えぞち)に百姓し申す」といっていた。そのやさきに征韓論がおこったためこれをもって自分の生涯の退きどき(この場合は死だが)にしようとした。』
このように小沢幹事長と西郷隆盛の政治的資質は「水と油」です。でも、政治家は言葉が命です。西郷隆盛の言葉を自身の信条にまで言及したのなら、その彼の生き様まで己の行動を律する規範にする必要があると私は思います。
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小沢民主党幹事長に司馬さんが西郷隆盛に語った『無私の人』の言葉を捧げ、私は西郷のように潔い進退を望む

2010-01-17 13:17:51 | 日記
今日の日記は、小沢一郎民主党幹事長のウェブサイトの信条揮毫の掲載文のことです。そのウェブサイトの信条揮毫からその掲載文を、以下に引用します。
『若い頃から歴史に興味があり、幕末から明治維新にかけての色々な書物を読んだが、なかでも維新の功労者、西郷隆盛の「敬天愛人」「至誠通天」という言葉が好きだ。「人を愛し、誠意を尽くす」というのは、政治はもちろん、人生において重要な部分だと思っている。色紙に書いた「百術は一誠に如かず」「無心帰大道」ももちろん好きな言葉だ。「敬天愛人:天をうやまい人を愛すること」「至誠通天:まごころをもって事に当たればいつかは認められる」』
彼がこのように語ったその言葉は、彼の真心から思って出た肉声とは私はとても信じられません。小沢幹事長の最近の言動が、彼の政治信条と大きく解離しており、同じように彼の持つ歴史観も正しい歴史認識から甚だしく逸脱しているからです。
小沢幹事長はウェブサイトに「歴史に興味があり、幕末から明治維新にかけての色々な書物を読んだ」と書いていますが、司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』を読んだのか?甚だ疑問です。実際に読んでいれば彼には西郷隆盛の人物像がはっきりと判り、自分自身とはまったく正反対の資質の持ち主の西郷隆盛の語った言葉を揮毫するわけがないと私は思っています。小沢幹事長は西郷隆盛の人物像もまったく判らず、ただ体裁の良い言葉を選んで、自身のウェブサイトの信条揮毫に採用しただけだと私は思っています。
司馬遼太郎が西郷隆盛について語った言葉を自著『明治という国家』(1988年日本放送出版協会刊)から引用します。
『西郷は、本気で、自分より身分の下の人ほうが賢いと思っていた人です。ただ、事にあたって、無私であるのは自分だと思っていたために、人の上に立っていただけです。無私、これは栄達についての無私、あるいは進退についての無私、さらには生命についての無私。西郷はそういう巨大な無私をもち歩いていた人でした。・・・無とか空という古代インド的概念は、数字でいうゼロのことです。ゼロはすべてのプラスとマイナスの数字を生みます。古代インド人は、これをキリスト教の概念でいえば神だと思っていました。そして人間は、努めれば空(無も同じ意味です)になりうると思ってもおりました。西郷は仏教徒とはいいにくい人でしたが、天性の上に、そのような心をもつように自分でつとめておりました。宗教者とはちがい、俗人であるかれの年少の時からの望みは、大事をなしたいということでした。これが、西郷の唯一のとらわれだったでしょう。・・・でも、大事ということと功業(手柄をたてて後世に名を残したり、現世で栄達したりすること)とは全く別のものです。・・・西郷というのは、「大事」をかついで、空というもので歩いている古今類をみない一大専門家でした。』
西郷隆盛の言葉を揮毫する小沢一郎民主党幹事長に司馬さんが西郷隆盛について語った『無私の人』という言葉を私は捧げたい。そして、小沢幹事長には自ら西郷隆盛のような潔い進退を取ってほしいです。
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