私に関係するネット掲示板に、今日の日記に関係して『オヤジも潔く進退を決めろ』との投稿がありました。この投稿者に私は反論します。
私は今日の日記で『小沢幹事長には自ら西郷隆盛のような潔い進退を取ってほしいです。』とその要望を書き込みました。それは、小沢幹事長が、西郷隆盛の言葉を自らのウェブサイトに引用しているくらいだから、政治の師として西郷隆盛の生き方に小沢さんがとても共感したと、私が思ったからです。でも、私の信条とは、西郷隆盛の生き方とは必ずしも合致しません。周囲の者を強く引き付けるとても人間的に魅力のある大人物でも、彼のような生き方は、私には到底できません。また、自分の出所進退は、自らの信条に照らして自らがそれを判断することで、他人からとやかく言われる筋合いのものではないです。
また、司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』を小沢幹事長が読んでいないと思う確証を得た記述(征韓論で敗れた西郷が下野)を、その小説から私は以下に抜粋します。
『西郷の半生をつらぬいている主題はこの隠遁への願望であり、事が私事として面倒になってくると、「もう故郷(くに)に帰る」と言い出し、そのつど、協同者である大久保を手こずらせた。この隠遁願望は生死の課題ともかさなっており、西郷は歴史のなかで自分がなしうる役割というものの限界を心得すぎるほど心得ていて、「もうこの辺でよかろう」ということを、いつの時期においてもその時期の仕事が絶頂に達したときおもった。死については、幕末において自殺の衝動がすくなくとも二度おこっている。幕末の早い時期、井伊直弼の安政大獄の進行に絶望し、かれが京都から保護してきた僧月照と薩摩潟に投身したことはよく知られている。幕末のあとの段階で西郷ぎらいの島津久光が西郷のやったことを非とし、西郷の活動を執拗に封じたとき、大久保でさえこの薩摩藩の特殊事情に絶望し、西郷と刺しちがえてともに死のうとしたほどであった。また明治維新が成立したとき、西郷は自分の歴史的役割が終了したとみた。成功してなお官にいることは革命を栄達のためにすることになり、さらにはまた久光がその点に疑いをもち、激しく非難しつづけていたために、退穏を考え、北海道にコサックを模した屯田軍団を置き、その着想の実現を黒田清隆や桐野利秋らに命じ、自分も、「北海道(えぞち)に百姓し申す」といっていた。そのやさきに征韓論がおこったためこれをもって自分の生涯の退きどき(この場合は死だが)にしようとした。』
このように小沢幹事長と西郷隆盛の政治的資質は「水と油」です。でも、政治家は言葉が命です。西郷隆盛の言葉を自身の信条にまで言及したのなら、その彼の生き様まで己の行動を律する規範にする必要があると私は思います。
私は今日の日記で『小沢幹事長には自ら西郷隆盛のような潔い進退を取ってほしいです。』とその要望を書き込みました。それは、小沢幹事長が、西郷隆盛の言葉を自らのウェブサイトに引用しているくらいだから、政治の師として西郷隆盛の生き方に小沢さんがとても共感したと、私が思ったからです。でも、私の信条とは、西郷隆盛の生き方とは必ずしも合致しません。周囲の者を強く引き付けるとても人間的に魅力のある大人物でも、彼のような生き方は、私には到底できません。また、自分の出所進退は、自らの信条に照らして自らがそれを判断することで、他人からとやかく言われる筋合いのものではないです。
また、司馬遼太郎の歴史小説『翔ぶが如く』を小沢幹事長が読んでいないと思う確証を得た記述(征韓論で敗れた西郷が下野)を、その小説から私は以下に抜粋します。
『西郷の半生をつらぬいている主題はこの隠遁への願望であり、事が私事として面倒になってくると、「もう故郷(くに)に帰る」と言い出し、そのつど、協同者である大久保を手こずらせた。この隠遁願望は生死の課題ともかさなっており、西郷は歴史のなかで自分がなしうる役割というものの限界を心得すぎるほど心得ていて、「もうこの辺でよかろう」ということを、いつの時期においてもその時期の仕事が絶頂に達したときおもった。死については、幕末において自殺の衝動がすくなくとも二度おこっている。幕末の早い時期、井伊直弼の安政大獄の進行に絶望し、かれが京都から保護してきた僧月照と薩摩潟に投身したことはよく知られている。幕末のあとの段階で西郷ぎらいの島津久光が西郷のやったことを非とし、西郷の活動を執拗に封じたとき、大久保でさえこの薩摩藩の特殊事情に絶望し、西郷と刺しちがえてともに死のうとしたほどであった。また明治維新が成立したとき、西郷は自分の歴史的役割が終了したとみた。成功してなお官にいることは革命を栄達のためにすることになり、さらにはまた久光がその点に疑いをもち、激しく非難しつづけていたために、退穏を考え、北海道にコサックを模した屯田軍団を置き、その着想の実現を黒田清隆や桐野利秋らに命じ、自分も、「北海道(えぞち)に百姓し申す」といっていた。そのやさきに征韓論がおこったためこれをもって自分の生涯の退きどき(この場合は死だが)にしようとした。』
このように小沢幹事長と西郷隆盛の政治的資質は「水と油」です。でも、政治家は言葉が命です。西郷隆盛の言葉を自身の信条にまで言及したのなら、その彼の生き様まで己の行動を律する規範にする必要があると私は思います。