今日の日記は、私の中国旅行記・その13・中国人ガイドの胡さんと、旅行中にお互いに語り合った日中文化交流のこぼれ話その6(一人っ子政策と青年層の男女比率歪み編)です。
胡さんは、観光地を移動中のバス車中で旅行者である私たちに、中国が1979年に始めた人口規制政策『一人っ子政策』とそれが生んだ社会風潮について、次のように語ってくれました。
『小平が始めた「一人っ子政策」はその当時の中国の貧困を考えれば、当然で正しい政策でした。それで、現在の豊かな生活ができるようなったのです。でも、生めるのが一人だけだと男の子を望むようになります。その結果、結婚適齢期の男女比率の大きな歪みが発生しました。現在では、男8対女2にまでなってしまいました。だから中国では、若い男性は日本のように3高(高学歴・高収入・高身長)でないと、もう結婚できなくなりました。そして、女性が強くなったのか?離婚率もとても高くなっています。交際中の男女間では、そのデート代はすべて男性の負担です。それも、男性がお金を少しでもケチっていたら、すぐに女性からデートを断られてしまいます。だから、私も結婚するまで、多くのお金を今の奥さんに使いました(笑)。』
この話を聞いて、今の中国の若い男性もたいへんだなあ~と、私は深く同情しました。そして、胡さんが言った結婚適齢期の男女比率(男8:女2)は、私にはとても信じがたい数字でした。ここまで人口の男女比率が歪になると、もう深刻な社会問題にまで発展しているはずです。でも今まで、その問題を中国政府メディアが、積極的に公表しているように、私はみえませんでした。
だから帰国してから、その男女比率がよくわかる中国映画『あの子を探して』(チャン・イーモウ監督1999年製作)を私はふと思い出し、ビデオレンタル店から借りてきて、もう一度よく鑑賞してみました。その映画では河北省の山村にある小学校が主な舞台になっています。映画でその小学校の生徒28人の男女数を確認すれば、農村で影響がとても大きかった『一人っ子政策』の歪みが顕著に判ると思ったからです。
でも、その小学校の男女比率は胡さんが言った男8:女2ではなく、ほとんど男女同じでした。この映画は国際的には名作と高く評価されていますが、残念ながらチャン・イーモウ監督は、そこまで深く中国社会の歪みを正しく表現していなかったのです。
この歪んだ現実をあえて逃避しようとするチャン・イーモウ監督の映画製作姿勢は、現在の中国政府に節操もなく迎合する今の彼の映画思想の悪しき「さきがけ」だったのかもしれません。
胡さんは、観光地を移動中のバス車中で旅行者である私たちに、中国が1979年に始めた人口規制政策『一人っ子政策』とそれが生んだ社会風潮について、次のように語ってくれました。
『小平が始めた「一人っ子政策」はその当時の中国の貧困を考えれば、当然で正しい政策でした。それで、現在の豊かな生活ができるようなったのです。でも、生めるのが一人だけだと男の子を望むようになります。その結果、結婚適齢期の男女比率の大きな歪みが発生しました。現在では、男8対女2にまでなってしまいました。だから中国では、若い男性は日本のように3高(高学歴・高収入・高身長)でないと、もう結婚できなくなりました。そして、女性が強くなったのか?離婚率もとても高くなっています。交際中の男女間では、そのデート代はすべて男性の負担です。それも、男性がお金を少しでもケチっていたら、すぐに女性からデートを断られてしまいます。だから、私も結婚するまで、多くのお金を今の奥さんに使いました(笑)。』
この話を聞いて、今の中国の若い男性もたいへんだなあ~と、私は深く同情しました。そして、胡さんが言った結婚適齢期の男女比率(男8:女2)は、私にはとても信じがたい数字でした。ここまで人口の男女比率が歪になると、もう深刻な社会問題にまで発展しているはずです。でも今まで、その問題を中国政府メディアが、積極的に公表しているように、私はみえませんでした。
だから帰国してから、その男女比率がよくわかる中国映画『あの子を探して』(チャン・イーモウ監督1999年製作)を私はふと思い出し、ビデオレンタル店から借りてきて、もう一度よく鑑賞してみました。その映画では河北省の山村にある小学校が主な舞台になっています。映画でその小学校の生徒28人の男女数を確認すれば、農村で影響がとても大きかった『一人っ子政策』の歪みが顕著に判ると思ったからです。
でも、その小学校の男女比率は胡さんが言った男8:女2ではなく、ほとんど男女同じでした。この映画は国際的には名作と高く評価されていますが、残念ながらチャン・イーモウ監督は、そこまで深く中国社会の歪みを正しく表現していなかったのです。
この歪んだ現実をあえて逃避しようとするチャン・イーモウ監督の映画製作姿勢は、現在の中国政府に節操もなく迎合する今の彼の映画思想の悪しき「さきがけ」だったのかもしれません。