天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

中国人ガイド胡さんと語った日中文化交流こぼれ話3(中国の代表的有名監督チャン・イーモウの評価編)

2010-01-08 23:24:45 | 日記
今日の日記は、私の中国旅行記・その9です。
中国人ガイドの胡さんと、旅行中にお互いに語り合った日中文化交流のこぼれ話その3です。そして今日は、中国の代表的有名監督チャン・イーモウに対する胡さんの評価編です。
(3).国家権力に迎合した有名監督には、良識派ネット社会は手厳しい・・・12月27日朝、宿泊ホテル近くの北京オリンピック開会式会場になった北京国家体育場(鳥の巣)を観光した時、この開会式を演出した映画監督のチャン・イーモウの中国での評価を、私は胡さんに尋ねてみました。その私の問いに、彼は私のまったく予期せぬ言葉を返してくれました。
『チャン・イーモウ監督は北京の私が知っているネット仲間では、すこぶる評判が悪いです。チャン・イーモウ監督が関係するネット上のブログやHPなどには、彼が製作した映画シーンを改悪する悪戯や彼を批判する投稿がいっぱいあります。彼は(私注:良識派の)北京の人々には、もうまったく相手にされていません。彼は完全に無視されています。』
この言葉を聞いて私はとても驚きました。国際的にも認められた中国を代表する有名監督チャン・イーモウでも、胡さんらが属する非共産党員の中国若手良識派知識層には評判がすこぶる悪いみたいです。チャン・イーモウ監督は、今ではすっかり中国政府に迎合し、去年の中華人民共和国建国60周年を祝賀する記念映画を作るまったくの政府御用達監督になってしまいました。でも、彼の現在までの経歴はそんな順風満帆なものではまったくなかったです。
チャン・イーモウ監督は、西安生まれの59歳です。文化大革命により反体制分子として『下放』され、農民として3年間、紡績工場労働者として7年間働いた屈辱の過去があります。31歳のガイドの胡さんでもその『下放』政策を激しく非難している悪しき蛮行の、彼は犠牲者でした。その後70年代末に、やっと北京電影学院の映画学科に入学が許され、31歳の82年に卒業しました。チェン・カイコー監督の作品でカメラマンとして腕を磨き、87年にコン・リー主演映画『紅いコーリャン』で監督デビューした苦労人です。この作品はベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しましたが、中国本土での公開が禁止される迫害も彼は受けています。その後、彼は多くの優れた作品を精力的に製作しました。その中でも、私は『上海ルージュ』(コン・リー主演1995年)『初恋のきた道』(チャン・ツィイー主演1999年)の二本がとても大好きです。中国の広大な風土の中で、強い思いを持った女性をとても美しく描いた名作だからです。
でもその後のチャン・イーモウ監督は、2002年にワイヤーアクションを多用した特殊撮影と特殊効果の武侠映画『HERO』が中国政府から承認されて以降、彼の作風がまったく変ってしまいました。反体制派であった彼は自ら変節し、近年は政府と蜜月関係を築いています。2008年には、北京オリンピック開会式の演出を任されましたが、その演出手法は1936年のベルリンオリンピックを、ナチスドイツ政府のプロパガンダとしてドキュメンタリー映画『民族の祭典』に収めたレニ・リーフェンシュタール監督と同じようなものであると、世界的に大批判を浴びてしまいました。
昔の彼の作風からは、この絢爛豪華な演出をまったく想像できないものでした。そして、開会式での少女の歌声の「口パク」を指示した北京オリンピック運営最高責任者の習近平中国国家副主席を、自らの演出家として矜持を持って強く諫言できなくなってしまっては、ガイドの胡さん仲間の手厳しい評価も当然なことと、私は今では思い直しています。
それにしても、中国若手良識派知識層の思想健全化には、私はただただ脱帽するばかりです。
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