まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『太平洋 モーム短編集2』さらに、南の島で・・・

2009-01-21 01:12:50 | イギリス・アイルランドの作家
THE PACIFIC 
1921年 サマセット・モーム

『雨・赤毛』に続きモームです。
こちらも島が舞台です。

当時は南の島に行くというだけで一大事という時代ですから
こういうエキゾティックな土地を舞台にした物語は話題になったでしょう。
それでモームを大衆作家だという人もいますし
評価していない批評家もいらっしゃるみたいなんですが
そんなことは気にせず、私はモームを愛す!

プロローグ的な『太平洋』の他に3篇おさめられています。

『マッキントッシ』
植民地の若い役人マッキントッシは、野蛮で暴君のような行政官のやり方についていけず
行政官に恨みを抱いた現地人の犯罪を見て見ぬふりをします。
しかし、彼の死に祭し嘆き悲しむ島の人たちを目にして・・・

私もこの行政官が善人なのか悪人なのか、ちょっと判断に苦しむところです。
ただ上司だったらいやだろうな・・・とは思いますけど。
このマッキントッシは少しデリケートすぎるかもしれませんね。

『エドワード・バーナードの転落』
友人で、愛する女性の婚約者エドワード・バーナードをタヒチに訪れたベイトマンは
エドワードの変わり果てた姿に愕然とします。
あんなに都会的なエリートだったエドワードが、シャツ1枚で商店で働き
タヒチの女性を妻に持つ、アメリカでは札付きの男性とつるんでいたのです。
エドワードはベイトマンに「自由だ」と言います。

この後サンフランシスコに戻ったベイトマンは、婚約者だった女性と
「エドワードも落ちぶれちゃって・・・」と嘆く訳ですが
私もできることならエドワードみたいに生きたいと思いますけどね。
でもなかなかねぇ・・・

『淵』
美しい土地の娘と結婚したばっかりにはまり込んでしまった生活に苦悩する白人男性。
貧しい白人に対する妻やその親類の仕打ちに耐えられなくなった彼は
酒浸りになっていきます。
彼はとうとう英国に帰る決心をするのですが、結局帰ることはできませんでした。

愛に縛られる人生というのは、ある意味自虐的でドラマティックな気もしますが
相手の親や親類たちに縛られるのはカンベンですよね。
けれども、逆から見れば妻の落胆も大きかったのではないでしょうか?

舞台は風変わりでも、人の心はいずこも同じ。
愛もあり、落胆も焦燥も嫉妬も、なにも変わるところはありません。
ただ、南の島の、楽園とはほど遠いリアルライフに取り残された当時の英国人は
そこから逃れる術を徐々に失い、孤独のうちに悲壮な状態に陥ってしまったみたい。
モームはそういったところをこれらの物語の中で描きたかったのでしょうか?
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『雨・赤毛 モーム短編集1』遠い南の島で・・・

2009-01-21 01:12:12 | イギリス・アイルランドの作家
RAIN・RED 
1921年 サマセット・モーム

私がモームにはまるきっかけとなった1冊です。
『月と6ペンス』『女ごころ』『人間の絆』などなど
モームは長編でも後世に名を残す作品を書いているわけですけれども
私自身は、長めの短編、あるいは中編あたりに一番心惹かれています。

考え尽くされ、削ぎ落とされた文章の中に、素の人間の姿がギュッと凝縮されているようで
短いながらも読み応えがあるんですよね。

ドロドロしたテーマを扱っていながら、騒然や狂乱を感じさせず
じわじわと臓腑に浸透していくような悲哀とペーソスっていうんですかね?
上手く言えませんが、モームの短編にはそんな作品が多いような気がします。

『雨・赤毛』には特にそんな香りが漂っている気がします。
南洋の島を舞台にした3篇がおさめられています。

『雨(Rain)』
伝染病のおかげで、中継地の島に足止めされた医師夫妻と厳格な宣教師夫妻。
彼らと同じ宿屋に、あきらかに商売女と思われる女性が同宿します。
宣教師は静かに、しかし壮絶に彼女を追いつめ、ついに改心すると言わせます。
しかし、降り続く雨は宿屋に押し込められた人々の心をすこしづつ蝕んでいきます。

異国の人たちの慣習を変えさせ、伝統的な風習をやめさせ
罰を与えてまで神に祈らせることを誇る宣教師夫妻が、次第にハナについてきたところで
衝撃の結末が訪れるのですが・・・いくら善意からでたものでもあまりに熱意が過ぎると
人には苦痛を与えていくものかもしれませんね。

『赤毛(Red)』
小さな島に降り立った赤ら顔で肥満気味の船長は、島に住む白人から
何十年も前の、世にも美しい赤毛の脱走兵と美しいカナカ人少女の
悲しい愛の話しを聞かされます。
その白人は兵士に去られた少女を愛し妻にしていましたが
目の前の船長から「昔 “ レッド ”と呼ばれていた」と聞かされ愕然とします。

このあと、まったく体型も崩れてしまった妻が現れるんですけどね・・・
絵のように美しい恋人たちは、美しいうちに別れてしまった方が幸せなのかしら?
お互いが醜くなる様を見なくてはならなくても、ともに年を重ねる方が幸せかしら?

『ホノルル(Honolulu)』
アメリカ人青年がハワイで出会った陽気な船長から奇妙なエピソードを聞かされます。
船長の恋人の美しい少女に恋をしたコックが、船長に呪いをかけたというのです。
少女は船長を助けるために呪いを解くことができる月夜を待ちます。

当時のハワイのエキゾティックぶりが不思議でもあり
ハワイで背広を着ている白人や日本人の姿も想像すると笑えます。
おまじない的なものはまだ根強く残っていたようです。

新潮社では、同じ年に書かれている南洋ものを『モーム短編集2』にまとめています。
引き続きそちらをご紹介します。

雨・赤毛 新潮社


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表紙も変わらず嬉しいロングセラー、新潮文庫版
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スコットランド王ロバート2世妃 エリザベス

2009-01-18 19:43:19 | スコットランド王妃・王女
               肖像画は王妃ユーフィミア・ドゥ・ロス

夫と二度結婚した妻
ロバート2世妃 エリザベス・ミュア


~1355/在位せず

デイヴィッド2世とエドワード・ベイリャルという二人の王がいながら
ほとんど国にいやしない という不思議な時代
摂政としてスコットランドを守りきったロバート・ステュワートは
二人の王に継嗣がいなかったことから、ロバート2世として55歳で即位します。

ロバート1世の孫にあたるロバートは、王位簒奪に出てもおかしくはないのですが
平和主義者なのかなんだか、王位を奪うことなく役職をこなしていました。

そんな摂政時代に結婚したのがエリザベスです。
もともとエリザベスは愛妾で、1336年に正式に結婚したのですが
その正当性を非難されたため、1347年に教皇の特免状を受けて再度結婚します。
これは、たぶん子供たちを正式な継嗣とするための措置だったろうと思います。

1355年に他界します。



子だくさんの王を支えた
ロバート2世妃 ユーフィミア・ドゥ・ロス


~1386/在位 1371~1386

エリザベスの死後再婚したユーフィミアの母はロバート1世の妹マティルダなので
ユーフィミアはロバート2世の叔母にあたります。
生年がはっきりしていないので分かりませんが、姉さん女房だったのでしょうか?

     

最初の夫はマリ伯ランダルフで、1346年に死別しています。
ユーフィミアはエリザベスの生前からロバート2世の愛妾だったようで
エリザベスが亡くなった年に再婚しました。

ユーフィミアは2男2女を生みますが、ロバート2世には前妻エリザベスとの間に
すでに9人の子供がいました。
また、ロバート2世はかなりの男前さんだったらしく、愛妾が数名いたようで
その間に生まれた庶子も8人、計21人の子だくさんでした。
もちろんユーフィミアが全ての子供の面倒を一人でみていたわけではないでしょうが
問題児も多く苦労したことでしょう。

王に先立つこと4年、1386年に亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王デイヴィッド2世妃 ジョアン

2009-01-18 19:43:04 | スコットランド王妃・王女
囚われの女王
デイヴィッド2世妃 ジョアン・オブ・イングランド


1321~1362/在位 1329~1332、1346~1362

イングランド王エドワード2世の娘ジョアンは
8歳の時、ノーサンプトン条約によって5歳のデイヴィッドと結婚します。

この結婚は、破竹の勢いでイングランドに勝ち進んでいたロバート1世の申し入れを
エドワード3世の摂政イザベル・オブ・フランスと愛人マーチ伯ロジャーが受け入れたもので
イングランド側では屈辱的な結婚として物議を醸しました。

       
結婚後ほどなくして、デイヴィッドは父王の死によりデイヴィッド2世として即位しますが
1年ほどで、親政にのりだしたイングランド王エドワード3世の巻き返しにあい
彼が推したエドワード・ベイリャルに王位を追われました。
6歳の王と9歳の王妃はフランスに逃れます。
ちゃんと訳が分かっていたのでしょうか? 「お泊まりだ!」なんてはしゃいだりして…

1339年にフランス王フィリップ6世の後押しを受けてスコットランドに戻り
1346年、イングランドから戻って来ないエドワード・ベイリャルに替わって復位します。
しかし同じ年にイングランドに攻め入って逮捕され
王妃ともどもロンドン塔に囚われの身になります。 忙しいですね

ジョアンは実の兄に囚われたことになりますね。
彼女は “ ジョアン・オブ・ザ・タワー ” と呼ばれます。

2人は厚遇されたらしく、一歩先行くイングランドでおもしろ可笑しく暮らしていたので
11年後にスコットランドに帰国すると「退屈だ」と言いだします。
デイヴィッド2世は、なんたることか! 1363年には自らロンドンに戻ってしまい
以後スコットランドには帰国しませんでした。

ジョアンは先立って戻っていたのか、1362年イングランドで亡くなり
ロンドンに埋葬されました。



離婚宣告と戦った王妃
デイヴィッド2世妃 マーガレット・ドゥラモンド


1340~1375/在位 1364~1370

マーガレットは最初にサー・ジョン・ロッジと結婚しますが
ジョアンを亡くしてやもめになったデイヴィッド2世の愛人になり
1年半後に正式な妻になりました。
しかし世継ぎが生まれなかったことから、1369年に離婚を宣言されてしまします。

ところがマーガレットは大人しく聞き入れるような女性ではありませんでした。
アヴィニヨンに出向き、教皇に離婚の無効を訴える決心をします。
これはうまくいかず、1370年に離婚されます。
王より4年長生きして亡くなりました。

ちなみに、マーガレットから4代数えた姪のマーガレット・ドゥラモンドは
スコットランド王ジェイムズ4世の愛妾になりました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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静岡のお花たち

2009-01-18 17:32:44 | 鉢植え
近所の東急で “ 静岡のお花フェア ” をやっていたもので
久々に鉢花を購入しました。

ガーベラは種から育てるのが難しいということだったので
鉢花を探していました。
赤とピンクを即買いです。
バラ咲きポリアンというのは初めて見ましたが
あまりにも可愛らしいので買ってみました

寒さに負けずに春まで咲き続けてくれるといいのですが・・・
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スコットランド王ロバート1世妃 イザベル

2009-01-18 02:58:39 | スコットランド王妃・王女
1年あまりの結婚生活
ロバート1世妃 イザベル・オブ・マー


1277~1296/在位せず

ウィリアム1世の弟ハンティングダン伯デイヴィッドの玄孫にあたるロバートは
1906年、スコットランドがイングランドの支配にあい、10年ほど王が不在だった後
自ら宣言して王になりました。
もちろん、皆が賛同していたわけではなく、その後は戦いに明け暮れます。
          
しかし、最初の妻イザベルを娶ったのはそのずっと前で
王妃になったのは二人目の妻でした。

イザベルの父マー伯ドナルドはスコットランドの重臣のひとりで
早くからロバート即位を支持していました。
イザベルは18歳の時、キャリック伯だったロバートと結婚します。
イザベルの母ヘレンは、エドワード1世に滅ぼされたウェールズのプリンス
ルーリアン・ザ・グレイトの妹と言われています。

ロバートはイザベルの3歳年上で、ふたりはそれはラブラブだったそうですが
イザベルは、19歳で一人娘のマージョリーを生むと間もなく亡くなってしまいます。
たった1年あまりの結婚でしたが、この時代にあって相思相愛でいられたというのは
とても幸せなことだったかもしれないですね。



             

夫とともに戦地を転々とした王妃
ロバート1世妃 エリザベス・ドゥ・バラ


1289~1327/在位 1306~1327

イザベルを失った6年後の1902年、ロバートは再婚します。
ロバートは28歳、エリザベスは13歳でした。
再婚相手のエリザベスの父アルスター伯リチャードは、イングランド王エドワード1世の
親しい友人だったことから、ふたりはイングランド宮廷で出会ったと思われます。
(ロバートは、エドワード1世に進んで臣従していた時代がありました。
 その後反旗を翻したので変わり身が早いと言われるようになったのです)
            
1306年に王位を宣言した際、ロバート1世は自ら戴冠しましたが
さすがにうしろめたく思い、2日後エリザベスとともに戴冠を受けます。

即位後もイングランドとの戦いは延々と続き、エリザベスは1914年まで
ヨークシャー、バークシャー、エセックス、などイングランドの各地を
転々としています。

だからといって戦いを容認していたわけではなく、王やその追従者たちについて
「王様ごっこをしている」とクールに言い放っていたということです。

38歳で他界しますが、きっと忙しい一生だったのでしょうね?

 余談です
同じような肖像画に見えますけど・・・
王妃のドレスの模様は、生家の紋章になっております。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王ジョン・ベイリャル妃 イザベル

2009-01-18 02:30:19 | スコットランド王妃・王女
夫も息子もイングランドの操り人形
ジョン・ベイリャル妃 イザベル・ドゥ・ワーレン


1253~1292/在位せず

アレグザンダー3世によってスコットランドを追われたジョン・ベイリャルは
イングランドでヘンリー3世やエドワード1世に忠誠を尽くして重用されました。
しかし、その息子であるジョンをエドワード1世がスコットランド王に推したのは
ひとえにジョンが “ 御しやすい人物 ” だったからだようです。

      

イザベルの母アリスはイングランド王ヘンリー3世の義妹で
イザベル自身はエドワード1世の従妹にあたります。
ジョンが王位に就く前に亡くなりましたが、たぶん夫を説得するのに
一役かっていたのではないでしょうか?

しかしながら、ジョンだって男です!!
いつまでも操り人形でいるのはイヤだとばかりに、フランスと同盟を結んだりして
イングランドに反抗を試みますが、結局戦いに敗れ3年8ヶ月で廃位に追い込まれます。

ちなみに、ジョンが廃位された後、王不在のスコットランドに総督としてのり込み
スコットランド国民に弾圧を加えたのは
イザベルの父であるサリー伯ジョン・ドゥ・ワーレンでした。

ジョンとイザベルには王子が2人ありましたが、長男エドワードは内乱の最中
1332年に、イングランド王エドワード3世に推されてスコットランド王になります。

でも、やっぱりカエルの子は・・・ってことでしょうか?
3ヶ月でダグラス軍に敗れ、イングランドに逃亡します。
王位には1346年まで就いていましたが、以後スコットランドには戻りませんでした。

父子揃って・・・
イザベルも草葉の陰で情けなく思ったっことでしょう。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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『ゲイルズバーグの春を愛す』あぁ、勘違い ヾ(_ _。)

2009-01-15 22:21:34 | アメリカの作家
I LOVE GALESBURG IN THE SPRINGTIME 
1962年 ジャック・フィニィ

大掃除で見つけた本、第2弾ですが・・・
わたくし、完全にアンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』と混同してました

表題の『ゲイルズバーグ~』の主人公が若い新聞記者だったことと
昔ながらの町の雰囲気に、完全にゲイルズバーグを舞台にした連作だろうと思ってました。

しかし、この短編集に収められているのは
アメリカの各地を舞台にしたファンタジックでノスタルジックな物語の数々でした。

『ゲイルズバーグの春を愛す(I Love Galesburg in the Spring Time)』
新聞記者オスカーは、町で起こる不思議な出来事に気がついていました。
ゲイルズバーグの古き良き町並みを守ろうと、過去から廃止された市電や旧式の消防車
亡くなった人々が姿を現すのです。

『クルーエット夫妻の家(Where the Cluetts Are)』
若いクルーエット夫妻は、設計士ハリーの家で見つけた古い設計図どおりに
19世紀さながらの家を建てます。
しばらくしてハリーが訪ねてみると、二人はまるで19世紀にかえったような
ドレスやスタイルで生活をしていました。

『時に境界なし(Time Has No Boundaries)』
大学教授ウェイガンはイリーン警部に呼ばれ、不可解な失踪事件を聞かされます。
失踪しているのは微罪を犯した人々で、みな過去に逃げていると言うのです。
そして、彼らを過去に逃したのはウェイガンだろうときめつけます。

以上、特に郷愁の感がある3作をあげてみました。
いわゆるタイムマシーンもののような、冒険がらみの物語ではありません。
過去を懐かしみ愛するあまりに説明のつかない出来事を肯定してしまう人たちの
不思議で素敵なエピソードです。

私も小花柄のスモックドレスなんかを着て、大草原の小さな家的に過ごしてみたいわ
などと憧れたものですが、これだけ何もかも揃っている現代に暮らしていると
難しいものかもしれませんね・・・不便で。

たとえばブルーレイ内蔵テレビとか、お掃除ロボットとか、ミストサウナなんかの
便利すぎるものは無くなっても耐えられるとして、冷蔵庫や洗濯機がないなんて
考えただけでウンザリ  主婦の重労働が増えてしまふ・・・
だいたい、電気やガスがないっていうのが信じられないですよね。
どうやって生活しろというのかね?
それから乗り物! 馬飼わなきゃ!!

結局、過去は懐かしむためにあるものなんですね。
戻れないから素敵に思えるものなんでしょうねぇ・・・
コメント (3)
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『水いらず』靄、靄、靄・・・モヤだらけ

2009-01-15 00:54:36 | フランスの作家
INTIMITE
1937 - 1938年 ジャン・ポール・サルトル

年末の大掃除で見つけましたよ、サルトル。
私はなんだかこの本を18歳の時に買ったみたいですけど
何を考えて買ったんでしょ? 賢い子ぶりたかったのかしら?
案の定なにひとつ覚えてないんですけど・・・(買ったことさえ

読んでいると頭のまわりを靄が漂っていくような気分になってしまいました。
ただ、物語になんらかの意味や明確な答えを求めようとしなければ
それなりに面白い本ではありました。

表題の『水いらず(Intimite)/1938年』ですが
不能でつれないアンリーの妻で、男好きするタイプのリュリュと
そのリュリュと伊達男ピエールをくっつけようとする未婚女性リネットの
ふたりの女性が交互に描かれています。
リネットが怒るのは無理もないと思うが、ほっとけばいいじゃん・・・とも思えます。

『部屋(La Chambre)/1938年』
エヴは両親や医者の忠告も聞かず、白痴になりつつある夫ピエールとふたりきりで
閉じこもった生活を続けるうちに、次第に自分の居場所がなくなっていくことを
感じていました。
難しいですよね、愛する人を切り捨てる決断って。

こんな私でも共感できる2篇をあげてみました。
全5篇収載されていまして、あと2編も理解はできました。

しかし『一指導者の幼年時代』というのがちょっと好きになれなかったかしら。
訳者(中村真一郎氏)の解説によると “ ジョイスの『若い芸術家の肖像』
見本にあったかもしれない ” と書かれていますが、確かに!
出口が見いだせない、あるいは見いだそうとしない若者の苦悩や疑問が
難し~い言葉で書かれています。
主人公を含め、彼のまわりの青年たちは、自ら悩みにはまっていっているような
感じをうけてしまい、少々いらいらさせられます。

若い頃、野坂昭如氏が「ニーチェかサルトルか、みんな悩んで大きくなった 」と
唄うCMがあったのですが、まさに悩める作家だったのでしょうね。
何もかもを語り尽くしていないところに、奥深さがあるような気はしています。
でも今のところ、長編を読む勇気はないです。

水いらず 新潮社


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表紙がおっしゃれ~に変わっている…
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『新版ロレンス短編集』女のワガママも大目に見てね・・・

2009-01-14 01:25:08 | イギリス・アイルランドの作家
A VOLUME OF THIRTEEN SHORT STREES 
デイヴィッド・ハーバート・ロレンス

新潮社版のロレンス短編集に収載されている物語は
女心の微妙な変化や身勝手さがクローズアップされているものが多いような気がします。

長編『息子と恋人』もそうですが、見た目の良い男性と結婚して
夢破れる女性というパターンがお得意のロレンスにしては
(実際彼の母親がそうだったらしいですね?)
この短編集では、身勝手にふるまって夫を困らせる妻が何人か登場します。

『白い靴下(The White Stocking)/1914年』
幸せな若い夫婦の妻のもとに、バレンタインに届けられた白いストッキング。
差出人はかつての雇い主でした。
どうやら妻は、その男性とたまに会っていたようです。

『微笑(Smile)/1928年』
結婚してから10年の間に家出を繰り返していた妻が
13度目の家出先で死亡したと聞いた夫マシューは、遺体の確認に修道院を訪れます。
彼女の死に顔を見ているうちに、マシューの顔には微笑みが浮かんでしまい
つられてシスターたちまで・・・

『二羽の青い鳥(Two Blue Bird)/1928年』
愛し合っているのになぜか一緒に暮らすことが苦痛のふたり。
妻は南国で情事に耽り、夫はイギリスで有能な女性秘書と仕事に精をだします。
ある日妻が帰宅すると、自宅には秘書の母や妹まで入り込んでしました。

以上、特に妻が奔放な3篇を選んでみました。

この当時、(一般人の)妻が夫をないがしろにして好き勝手に生きるというのは
なかなか大変なことだったと思うので、これらの物語を読んで
「 うらやましい 」と思う女性も多かったのではないかしら?
そして隣に座っている旦那を見てため息・・・みたいな感じかしら?
離婚も難しいことだったでしょうし。

まあ、結婚に大いなる理想を抱いてガッカリ・・・ というのは
男女問わず、経験者ならご存知ですよね?
中には理想どおりという幸せなカップルもいましょうが・・・

ロレンスを結婚前に読んじゃならんかもね。
結婚がいやになっちゃうかもしれません。
それとも読んどいて「 こんなもんか 」って学習した方がいいのかしら?
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スコットランド女王マーガレット

2009-01-12 16:40:26 | スコットランド王妃・王女
幼くしてはかなく散ったノルウェイの乙女
マーガレット・メイド・オブ・ノルウェイ


1283~1290/在位 1286~1290

アレグザンダー3世が継嗣の無いまま亡くなったことで
スコットランドの王位は娘のマーガレットとノルウェイ王エリク2世の娘である
マーガレットに継承されます。

     

アレグザンダー3世は1281年のマーガレットとエリク2世の婚姻に際し
自分に継嗣がいない場合は、マーガレットか、あるいは二人の子供に
スコットランド王位を継承するという条項を加えていました。
娘マーガレットは、子供を産んでからほどなくして死亡していたため
その娘のマーガレットに王位が継承されたわけです。

実は、アレグザンダー3世は、息子アレグザンダーと
フランドル伯ダンピエールの娘マーガレットとの婚姻でも
同じような条項を加えていたのですが、アレグザンダーは子供を残さず死亡しました。
ある意味、不幸中の幸いでした。

なにしろ、当時スコットランドには「我こそは!」と王位継承を名乗り出る者が
少なくとも13人はいたといいます。
アレグザンダー3世が生前に道筋をつけていたため、ある程度スムーズにことが運びましたが
それでなければ争いが起こっていたでしょう。
(事実マーガレットの死後スコットランドは内乱に突入します)

マーガレットは3歳で即位しますが、ノルウェイで養育されていました。
なにしろ3歳ですからねぇ・・・王になったっていっても何もできないし。

しかし、イングランド王エドワード1世は黙っていません。
なんとか王太子エドワード(後の2世)とマーガレットを結婚させようとせまります。
もちろん、後々スコットランドを併合するためです。
スコットランドはなんとか抵抗しますが、とうとう申し入れをのむことになり
マーガレットが7歳の時、ノルウェイから呼び寄せることにします。
到着後にはイングランド皇王太子エドワードと結婚することになっていました。

マーガレットは1290年ノルウェイを発って海路スコットランドに向かいましたが
船が大しけに遭い、オークニに到着した時には息絶えていたということです。

自分では望んでもいないのに、7歳で大人でも寝込むような難儀な海に乗り出し
命を落とさねばならないなんて、なんて哀れな人生でしょう。

下の絵は、マーガレットがオークニに到着したところを描いたものです。
タンカのようなものに載せられてぐったりしているのがマーガレットですね。
可哀想にもう息絶えているのかもしれません。

なお、マーガレットには船から落ちたという水死説もあり
10年後にノルウェイで「我こそはマーガレット」という女性が現れて処刑されています。

             

エドワード1世は賢王として知られていますし、愛妻家でもあったようですが
自国のためには血も涙もないですね!!(だから賢王なのかしら?)
せめてもう少し大きくなるまで待ってあげることはできなかったのでしょうか?

マーガレットが女王かどうかということについては論争があるようですが
彼女の死をもってアサル王家は終焉をむかえることになります。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王アレグザンダー3世妃 マーガレット

2009-01-11 23:51:10 | スコットランド王妃・王女
                アレグザンダ-3世の戴冠式です。
                        なんだか不気味です。


いじめにあった王妃
アレグザンダー3世妃 マーガレット・オブ・イングランド


1240~1275/在位 1251~1275

8歳で王位についたアレグザンダー3世は、10歳の時に11歳のマーガレットと結婚します。

妹ジョアンの夫だったアレグザンダー2世の再婚に危機感を持った
イングランド王ヘンリー3世は延々といいがかりをつけていました。
1249年に和解しますが、その時におしつけるようにして
娘マーガレットと幼い王を結婚させたのです。

     

これは完全にスコットランドを掌中に収めるための結婚で
ヘンリー3世はアレグザンダー3世をナイトに叙任し臣下扱いします。

マーガレットは大事にされたかというと、王宮で摂政ジョン・ベイリャル、及び
護衛官ロバート・ドゥ・ロスから執拗な嫌がらせを受けます。

ジョンはデイヴィッド1世の血筋であるデヴォグィラを妻にしており
ロバートはウィリアム1世の次女イザベルを母に持っていました。
自分たちも王位継承につながることから、高慢な態度に出ていたようです。

しかしアレグザンダー3世は15歳で親政を執るようになると
2人を王宮から追放して一応一件落着します。

ちゃんと分かっていてくれたのですね
(でも、幼王はなんだか摂政を嫌う傾向があって
 親政にのりだすと追放しちゃったり・・・というのは多いんですよね。
 やはりうるさい存在に思えるんでしょうか?)

マーガレットは2人の王子を生みますが、2人とも早世してしまいます。
35歳で他界しました。



後継者づくりの犠牲者
アレグザンダー3世妃 ヨランド・オブ・ドウリュウ


1563~1330/在位 1285~1286

王子、王妃を相次いで失ったアレグザンダー3世は
なんとか世継ぎを得ようと、43歳の時、22歳のヨランドと結婚します。

“ 子供を産む道具 ” 発言をして物議を醸した閣僚がいましたけど
結局、中世も今も男女の関係性はあまり変化してないってことでしょうか?
もちろん、先天的な理由もあるのでしょうけれど・・・

ヨランドはフランスのドウリュウ伯ロベール4世の娘ですが
イングランドはフランスとスコットランドの結びつきを気にしていたので
(両面から挟まれますからね)この結婚には警戒心を強めます。

ヨランドの家系は古くは(フランスの)カペー王家につながり
ロベール4世もルイ11世の子孫にあたります。

アレグザンダー3世は片時も王妃を放さなかったらしいのですが
子供に恵まれないまま1年後に事後で亡くなります。
しかし、片時も放さないって・・・うざったいですね

アレグザンダー3世の死の直後、ヨランドは妊娠していると思い込み
子供も生んだと言いますが、イングランドはこれを偽装妊娠と決めつけます。
(スコットランド側の立会人は王子を死産したと言っています)

6年後ヨランドはブリタニー公アーサーと再婚し、子供を6人産んで
1330年に亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王ウィリアム1世妃 アーマンガード

2009-01-10 21:08:42 | スコットランド王妃・王女
              マリー・ド・クーシーが生まれた城

これといってエピソードが無い・・
ウィリアム1世妃 アーマンガード・オブ・ボーモント


1170~1233/在位 1186~1214

夫のウィリアム1世は獅子王として有名なんですが、王妃のエピソードは
これと言ってないのです・・・

    

イングランド王ヘンリー1世の庶子コンスタンスが母親で
ヘンリー2世の義理の従妹というぐらいでしょうか・・・



母親に翻弄された
アレグザンダー2世妃 ジョアン・オブ・イングランド


1210~1238/在位 1221~1238

ジョアンは、母であるイザベル・オブ・アングレーム
イングランド王ジョンの再婚相手に選ばれたために婚約を破棄した代償として
母の婚約者だったヒュー・ル・ブルンと結婚することが決まっていました。
(ひどい話しだね
     
そのため小さな頃からヒューの館で育てられていたのですが、ジョン王が亡くなると
母のイザベルは、やっぱり自分がヒューと再婚することにします あーんぐり

そんなわけでイングランドに送り返されたジョアンには
アレグザンダー2世との結婚話がすぐに持ち上がり、11歳で23歳の若き王と結婚します。

アレグザンダ-2世は16歳で即位していましたが、賢王といわれ
ジョアンとの結婚も、ノーサンバランドの失地回復などの目論みがあったようです。

28歳の時に、病気で療養中のロンドンで死去しました。

当時の感覚から言えば、政略的な結婚はしかたがないと思いますが
母のイザベル、ひどくはないのかしら・・・
イングランドの時はロマンティックな再婚だと書いてしまいましたが
なんだか納得いかなくなったぞ!



前妻の兄を敵にまわす
アレグザンダー2世妃 マリー・ド・クーシー


1218~1285/在位 1239~1249

アレグザンダ-2世の二度目の妻マリーの父は強力な反イングランド派で
彼女との再婚は、最初の妻ジョアンの兄イングランド王ヘンリー3世を警戒させ
表立った争いはなかったものの、スコットランドとイングランドを敵対させます。

王の死後2年ほどして故郷に帰り、39歳の時に
フランスの執政官ジャン・ド・ブリエンヌと再婚しました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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『ヘッベル短篇集』なぜか父の言葉が・・・

2009-01-10 01:15:34 | ドイツの作家

フリードリヒ・ヘッベル

ヘッベルという作家は知らなかったのですが
劇作家としては有名な方だそうですね?
たぶん、壮大な劇作の合間に身近な日常を書いたのではないかしら?
主人公は皆、これといって特徴のない普通の人びとです。
しかしそこは劇作家、ちょっと非日常的なひねりが加えられています。

気になった3篇を書き出してみます。

『山小屋の一夜/1837年』
道に迷った2人の学生が、泊めてもらった山小屋で味わう恐怖の一夜です。
人里離れたその小屋には、不気味な老婆と狡猾そうな猟師が暮らしていました。
彼らの不可解な言動に、学生たちは眠らずにいようとしましたが・・・

人は見かけで判断してはダメ! と言われますが
初対面の人ってやはり見た目が頼りですものねぇ?
しかし、実は猟師は、茶目っ気があるナイスガイだったりします。
この物語の教訓は「 口は災いのもと 」ということでしょうか。

『理髪師チッターライン/1839年』
異常なまでに溺愛するあまり、娘に一切の自由を与えずに暮らすチッターライン。
ある日、チッターライン父娘の家に若い職人が住み込むことになり
父のあらゆる防御策をよそに、愛し合うようになります。

若い二人は結婚するんですけど、めでたしめでたし、ではないんですよ。
こんなお父さん、今だったら絶対娘に相手にされないでしょうね。

『仕立て屋シュレーゲル/1837年』
世の中の全てを憎まずにはいられないシュレーゲルは
人の不幸を嘲笑い自分の身を哀れむために、毎日街をさまよいます。
シュレーゲルは常々、妻の美しい髪を売って2人で愉快な思いをしたいと考えますが
従順な妻もそれだけは承知しません。

読んでてイライラする話しなんですが、そういえばこういう人いるなぁ・・・と
思ったりもします。
もちろん、そういう方には近づかないようにしています。

若い頃、ハードロックが大好きで外国人と結婚したいと言う私に( バカだね
父が「 ドイツ人以外はダメ 」と言いました。
その理由は「 ドイツ人は日本人と同じぐらい真面目で几帳面だから 」でした。
でも私はブリティッシュ派だったんですけどね・・・

その説が正しいかどうかは不明ですが、この短篇集には浮わついたところがあまりなくて
なんとなく父の言葉を思い出してしまいました。
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『アシェンデン』スパイって地味なのね

2009-01-10 00:55:00 | イギリス・アイルランドの作家
ASHENDEN 
1928年 サマセット・モーム

モームが第一次世界大戦中、英国のスパイだったことは有名な話しですが
この物語が自分の経験を題材にして書いているのだとしたら
上層部にいたようでも、派手な活躍をしたようでもなさそうですね。
なんていうか・・・連絡係?

『アシェンデン』はスパイになった小説家の回想録みたいなもので
読み切りタイプの16のエピソードが収められています。
『007』的なアクションはもちろんありません。

好きだったエピソードを3つあげてみます。

『ミス・キング(Miss King)』
スパイの巣窟であるジュネーブ湖畔のホテルで見かけた
亡命エジプト貴族の令嬢に仕える、おぞましい装いの老英国婦人ミス・キング。
彼女は終始アシェンデンを無視しますが、ある夜死にそうになって彼を呼び出します。

ミス・キングを思うたびに、この先ひとりで生きていかなければならなくなったら
どうしましょう? と不安で恐ろしくなります。
手に職をつけておかなければっ!

『売国奴(The Traitor)』
ルツェルンのホテルで出会った英国人の男性ケイパーとドイツ人の妻。
アシェンデンは、明らかにドイツ側のスパイである彼らに近づきたいと考えますが
なぜか彼らの方からアシェンデンに接近してきます。

この奥さんも、平和な時であれば夫思いの良い奥様だと思うのです。
夫が去った後の彼女の姿が涙を誘います。

『シベリア鉄道(A Chance Acquaintance)』
ペトログラードへの任務に向かう11日間の列車の旅の道連れは
やりきれないほどおしゃべりで愛妻家のアメリカ人セールスマン、ハリントン氏でした。
目的地に到着した時、アシェンデンは二度と彼には会いたくないと思いますが
そうはいきませんでした。

この物語は14章にあたるのですが、15、16章でハリントン氏は大活躍します。
本当に好人物で人情派なんです。 
そして悲しい結末が・・・

最後の3章は、ドラマティックになりすぎたきらいがありますが
アシェンデンは全篇通して、一流の傍観者の本領を発揮しています。

死ぬも生きるも国次第、上層部のしぐさひとつで運命が決まるスパイたち、
作戦の内容など知らされずコマ同然に扱われるスパイたち。

ヒーローでもヒロインでもない、名もなき勇者たちを
間近で見ていたモームだからこそ、描けた物語かもしれませんね。

アシェンデン 岩波書店


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こちらは岩波文庫
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