まりっぺのお気楽読書

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イングランド王ジョン妃 イザベル

2008-10-11 03:02:49 | イングランド王妃・王女
               こちらはイザベル・オブ・アングレーム

王妃になれなかった妻
ジョン妃 イザベル・オブ・グロースター


?~1217/在位せず

ヘンリ-2世の末子ジョンは、父親には溺愛されていましたが
母エリナーや父王が持つ広大な領土は、すでに3人の兄たちに分けられた後でした。

そこで父王は、祖父ヘンリー1世の婚外子グロースター伯領の女相続人である
イザベルに目をつけます。

      

しかし、彼女は素行が悪かったらしく、近親関係にあるという理由で離婚されます。
彼女は王妃になれなかったばかりか、爵位や領土まで召し上げられてしまいます。
これはヒドい
結婚が無効なら、彼女のもののはずじゃないか!
無一文てことはないと思うが、裸同然で放り出されたようなもんです。

彼女は爵位も領土も失ったけど、次々と有力者と再婚してます。
よっぽど魅力的だったのではないかと・・・



ロマンティックな再婚をした
ジョン王妃 イザベル・オブ・アングレーム


1188~1246/在位 1200~1216

イザベル・オブ・グロースターと離婚したジョン王は
さっさと2度目の妃を迎えますが、その時相手のイザベルは12歳

       

彼女は婚約者もいたのですが、むりやり21歳も年上のジョン王と
結婚させられてしまいます 。

婚約者であったラ・マルシュ伯子ヒューは激怒
彼がおこした内乱が、フランス対イングランドの抗争にまで発展します。
(もともとフランス側にはジョンの即位に異を唱える貴族が多かったのです)

イザベルはジョン王との間に二男三女を産んでいますが
28歳の時に王が亡くなると、以前婚約者であったヒュー・ル・ブルンと再婚します。

もし、ヒューが結婚しないで16年間彼女を待っていたとしたら
かなりロマンティック
残念ながら、分からないんですけど・・・

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

  

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中世のヘレネー、と称された王妃 (メリエンダ)
2018-08-10 22:24:43
イザベル・アングレーム王妃。 幼い頃から、その美貌を絶賛され、当時の人々からは、“この時代のヘレネー”などと称された絶世の美女。しかも、一人娘だった為に、アングレーム領を受け継ぐ予定の少女。彼女の美貌と家柄、領地に惹かれて王妃にしたのが、イングランドの歴史で愚王とされたジョン王。イザベルには婚約者がいて、横取りする形で結婚したなんて、さすが、愚王(汗)。ですが、いくらジョン王とはいえ、こんなことをしたのには、一応理由があったらしいですね。イザベル、アングレームの跡取り娘を王妃にすることで、フランスにある幾つかの領地を守り、プランタジネット家から領地を奪おうとするカペー家に楔を打つという目的があったらしいですが、どーも、裏目に出てしまい、フィリップ2世に逆手に取られ、どんどん領地を失っていったらしいですね。しかも、イザベルの美貌に身も心も支配されたジョン王は政務を放ったらかして、朝からイザベルに‥そのおかげ(笑)で五人も子供が産まれたらしいですが、美貌は衰えず、彼女は夫の死後、元婚約者(一説には、元婚約者の息子で、自分の娘の婚約者‥(汗)。)と再婚し、9人、あるいは11人もの子供を生んだらしいですね。多産~!再婚後、穏やかな晩年になるかと思いきや、フランス王太后と一悶着起こして、教会に匿われ、波瀾過ぎる生涯を終えたらしいですね。これも、絶世の美女の定めでしょうか?

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