からだをはって王を守ろうとした
ジェイムズ1世妃 ジョアン・ボーフォート
1404~1445/在位 1424~1437
ジェイムズ1世は、1406年に12歳で即位したものの
18年後の1424年までイングランドで囚われの身になったままでした。
とはいえ、なんだか不思議な関係のスコットランドとイングランドなわけで
ジェイムズ1世もかなり厚遇され、宮殿の催しや舞踏会などに参加して
囚われ生活をエンジョイしていたようです。
ジェイムズ1世は宮廷でジョアンを見初めて恋いこがれるようになりました。
なんとジョアンへの想いを『 王の献辞 』という詩にしたためています。
今で言うラブソングですかね こっぱずかしい~
ジョアンの祖父はエドワード3世の息子ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントで
イングランド王ヘンリー5世とは従妹にあたります。
相変わらずフランスと一進一退の戦いを続けていたイングランドは
スコットランドがフランス側につかぬよう
ジェイムズ1世をジョアンと結婚させて国に帰すことにしました。
かくして1424年、二人は結婚しスコットランドヘ向かいました。
ジェイムズ1世は、自分がいない間に好き放題やっていた貴族の一掃に乗り出します。
まず槍玉にあげられたのはオールバニー公ロバートから摂政を引き継いでいた息子で
ジェイムズ1世の従兄弟にあたるマードックでした。
マードックはジェイムズ1世の帰国交渉をイングランドと行っていた人物ですが
そんなこと知ったこっちゃない!とばかりに処刑します。
ジェイムズ1世は不正を許さず
公正で庶民の生活向上に努めた国民にとってはいい王様だった一方で
あまりにも強引な統治と貴族への厳しい処断などが不満を招き
1437年、とうとう叔父にあたるアサル伯らを中心とする不満貴族たちに
暗殺されてしまいます。
ジョアンはその時王と一緒にいて、刺客と王の間に立ちはだかり
王を守ろうとしたといいますが、王は目の前で殺され自らも怪我をおいます。
弱々しく思われる淑女たちですが、いざとなると勇ましいものですね
間もなくアサル伯らが捕えられると凄まじい拷問を与えたと言われていますが
どうなんでしょうね? こういう噂はけっこう中世時代には多いですけど。
美人の誉れ高いジョアン・ボーフォートなんですが…
王の死から2年後、ジョアンはサー・ジェイムズ・ステュワートと再婚します。
名前こそ王と同じですが、彼は一介の騎士で、結婚はかなり身分違いでした。
“ ローンの黒騎士 ” と呼ばれてますから、英雄だったのかもしれません。
再婚から6年後の1437年に、幼い息子3人を残し亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
ジェイムズ1世妃 ジョアン・ボーフォート
1404~1445/在位 1424~1437
ジェイムズ1世は、1406年に12歳で即位したものの
18年後の1424年までイングランドで囚われの身になったままでした。
とはいえ、なんだか不思議な関係のスコットランドとイングランドなわけで
ジェイムズ1世もかなり厚遇され、宮殿の催しや舞踏会などに参加して
囚われ生活をエンジョイしていたようです。
ジェイムズ1世は宮廷でジョアンを見初めて恋いこがれるようになりました。
なんとジョアンへの想いを『 王の献辞 』という詩にしたためています。
今で言うラブソングですかね こっぱずかしい~
ジョアンの祖父はエドワード3世の息子ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントで
イングランド王ヘンリー5世とは従妹にあたります。
相変わらずフランスと一進一退の戦いを続けていたイングランドは
スコットランドがフランス側につかぬよう
ジェイムズ1世をジョアンと結婚させて国に帰すことにしました。
かくして1424年、二人は結婚しスコットランドヘ向かいました。
ジェイムズ1世は、自分がいない間に好き放題やっていた貴族の一掃に乗り出します。
まず槍玉にあげられたのはオールバニー公ロバートから摂政を引き継いでいた息子で
ジェイムズ1世の従兄弟にあたるマードックでした。
マードックはジェイムズ1世の帰国交渉をイングランドと行っていた人物ですが
そんなこと知ったこっちゃない!とばかりに処刑します。
ジェイムズ1世は不正を許さず
公正で庶民の生活向上に努めた国民にとってはいい王様だった一方で
あまりにも強引な統治と貴族への厳しい処断などが不満を招き
1437年、とうとう叔父にあたるアサル伯らを中心とする不満貴族たちに
暗殺されてしまいます。
ジョアンはその時王と一緒にいて、刺客と王の間に立ちはだかり
王を守ろうとしたといいますが、王は目の前で殺され自らも怪我をおいます。
弱々しく思われる淑女たちですが、いざとなると勇ましいものですね
間もなくアサル伯らが捕えられると凄まじい拷問を与えたと言われていますが
どうなんでしょうね? こういう噂はけっこう中世時代には多いですけど。
美人の誉れ高いジョアン・ボーフォートなんですが…
王の死から2年後、ジョアンはサー・ジェイムズ・ステュワートと再婚します。
名前こそ王と同じですが、彼は一介の騎士で、結婚はかなり身分違いでした。
“ ローンの黒騎士 ” と呼ばれてますから、英雄だったのかもしれません。
再婚から6年後の1437年に、幼い息子3人を残し亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)