アレグザンダ-3世の戴冠式です。
なんだか不気味です。
いじめにあった王妃
アレグザンダー3世妃 マーガレット・オブ・イングランド
1240~1275/在位 1251~1275
8歳で王位についたアレグザンダー3世は、10歳の時に11歳のマーガレットと結婚します。
妹ジョアンの夫だったアレグザンダー2世の再婚に危機感を持った
イングランド王ヘンリー3世は延々といいがかりをつけていました。
1249年に和解しますが、その時におしつけるようにして
娘マーガレットと幼い王を結婚させたのです。
これは完全にスコットランドを掌中に収めるための結婚で
ヘンリー3世はアレグザンダー3世をナイトに叙任し臣下扱いします。
マーガレットは大事にされたかというと、王宮で摂政ジョン・ベイリャル、及び
護衛官ロバート・ドゥ・ロスから執拗な嫌がらせを受けます。
ジョンはデイヴィッド1世の血筋であるデヴォグィラを妻にしており
ロバートはウィリアム1世の次女イザベルを母に持っていました。
自分たちも王位継承につながることから、高慢な態度に出ていたようです。
しかしアレグザンダー3世は15歳で親政を執るようになると
2人を王宮から追放して一応一件落着します。
ちゃんと分かっていてくれたのですね
(でも、幼王はなんだか摂政を嫌う傾向があって
親政にのりだすと追放しちゃったり・・・というのは多いんですよね。
やはりうるさい存在に思えるんでしょうか?)
マーガレットは2人の王子を生みますが、2人とも早世してしまいます。
35歳で他界しました。
後継者づくりの犠牲者
アレグザンダー3世妃 ヨランド・オブ・ドウリュウ
1563~1330/在位 1285~1286
王子、王妃を相次いで失ったアレグザンダー3世は
なんとか世継ぎを得ようと、43歳の時、22歳のヨランドと結婚します。
“ 子供を産む道具 ” 発言をして物議を醸した閣僚がいましたけど
結局、中世も今も男女の関係性はあまり変化してないってことでしょうか?
もちろん、先天的な理由もあるのでしょうけれど・・・
ヨランドはフランスのドウリュウ伯ロベール4世の娘ですが
イングランドはフランスとスコットランドの結びつきを気にしていたので
(両面から挟まれますからね)この結婚には警戒心を強めます。
ヨランドの家系は古くは(フランスの)カペー王家につながり
ロベール4世もルイ11世の子孫にあたります。
アレグザンダー3世は片時も王妃を放さなかったらしいのですが
子供に恵まれないまま1年後に事後で亡くなります。
しかし、片時も放さないって・・・うざったいですね
アレグザンダー3世の死の直後、ヨランドは妊娠していると思い込み
子供も生んだと言いますが、イングランドはこれを偽装妊娠と決めつけます。
(スコットランド側の立会人は王子を死産したと言っています)
6年後ヨランドはブリタニー公アーサーと再婚し、子供を6人産んで
1330年に亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
なんだか不気味です。
いじめにあった王妃
アレグザンダー3世妃 マーガレット・オブ・イングランド
1240~1275/在位 1251~1275
8歳で王位についたアレグザンダー3世は、10歳の時に11歳のマーガレットと結婚します。
妹ジョアンの夫だったアレグザンダー2世の再婚に危機感を持った
イングランド王ヘンリー3世は延々といいがかりをつけていました。
1249年に和解しますが、その時におしつけるようにして
娘マーガレットと幼い王を結婚させたのです。
これは完全にスコットランドを掌中に収めるための結婚で
ヘンリー3世はアレグザンダー3世をナイトに叙任し臣下扱いします。
マーガレットは大事にされたかというと、王宮で摂政ジョン・ベイリャル、及び
護衛官ロバート・ドゥ・ロスから執拗な嫌がらせを受けます。
ジョンはデイヴィッド1世の血筋であるデヴォグィラを妻にしており
ロバートはウィリアム1世の次女イザベルを母に持っていました。
自分たちも王位継承につながることから、高慢な態度に出ていたようです。
しかしアレグザンダー3世は15歳で親政を執るようになると
2人を王宮から追放して一応一件落着します。
ちゃんと分かっていてくれたのですね
(でも、幼王はなんだか摂政を嫌う傾向があって
親政にのりだすと追放しちゃったり・・・というのは多いんですよね。
やはりうるさい存在に思えるんでしょうか?)
マーガレットは2人の王子を生みますが、2人とも早世してしまいます。
35歳で他界しました。
後継者づくりの犠牲者
アレグザンダー3世妃 ヨランド・オブ・ドウリュウ
1563~1330/在位 1285~1286
王子、王妃を相次いで失ったアレグザンダー3世は
なんとか世継ぎを得ようと、43歳の時、22歳のヨランドと結婚します。
“ 子供を産む道具 ” 発言をして物議を醸した閣僚がいましたけど
結局、中世も今も男女の関係性はあまり変化してないってことでしょうか?
もちろん、先天的な理由もあるのでしょうけれど・・・
ヨランドはフランスのドウリュウ伯ロベール4世の娘ですが
イングランドはフランスとスコットランドの結びつきを気にしていたので
(両面から挟まれますからね)この結婚には警戒心を強めます。
ヨランドの家系は古くは(フランスの)カペー王家につながり
ロベール4世もルイ11世の子孫にあたります。
アレグザンダー3世は片時も王妃を放さなかったらしいのですが
子供に恵まれないまま1年後に事後で亡くなります。
しかし、片時も放さないって・・・うざったいですね
アレグザンダー3世の死の直後、ヨランドは妊娠していると思い込み
子供も生んだと言いますが、イングランドはこれを偽装妊娠と決めつけます。
(スコットランド側の立会人は王子を死産したと言っています)
6年後ヨランドはブリタニー公アーサーと再婚し、子供を6人産んで
1330年に亡くなりました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)