マリー・ド・クーシーが生まれた城
これといってエピソードが無い・・
ウィリアム1世妃 アーマンガード・オブ・ボーモント
1170~1233/在位 1186~1214
夫のウィリアム1世は獅子王として有名なんですが、王妃のエピソードは
これと言ってないのです・・・
イングランド王ヘンリー1世の庶子コンスタンスが母親で
ヘンリー2世の義理の従妹というぐらいでしょうか・・・
母親に翻弄された
アレグザンダー2世妃 ジョアン・オブ・イングランド
1210~1238/在位 1221~1238
ジョアンは、母であるイザベル・オブ・アングレームが
イングランド王ジョンの再婚相手に選ばれたために婚約を破棄した代償として
母の婚約者だったヒュー・ル・ブルンと結婚することが決まっていました。
(ひどい話しだね )
そのため小さな頃からヒューの館で育てられていたのですが、ジョン王が亡くなると
母のイザベルは、やっぱり自分がヒューと再婚することにします あーんぐり
そんなわけでイングランドに送り返されたジョアンには
アレグザンダー2世との結婚話がすぐに持ち上がり、11歳で23歳の若き王と結婚します。
アレグザンダ-2世は16歳で即位していましたが、賢王といわれ
ジョアンとの結婚も、ノーサンバランドの失地回復などの目論みがあったようです。
28歳の時に、病気で療養中のロンドンで死去しました。
当時の感覚から言えば、政略的な結婚はしかたがないと思いますが
母のイザベル、ひどくはないのかしら・・・
イングランドの時はロマンティックな再婚だと書いてしまいましたが
なんだか納得いかなくなったぞ!
前妻の兄を敵にまわす
アレグザンダー2世妃 マリー・ド・クーシー
1218~1285/在位 1239~1249
アレグザンダ-2世の二度目の妻マリーの父は強力な反イングランド派で
彼女との再婚は、最初の妻ジョアンの兄イングランド王ヘンリー3世を警戒させ
表立った争いはなかったものの、スコットランドとイングランドを敵対させます。
王の死後2年ほどして故郷に帰り、39歳の時に
フランスの執政官ジャン・ド・ブリエンヌと再婚しました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
これといってエピソードが無い・・
ウィリアム1世妃 アーマンガード・オブ・ボーモント
1170~1233/在位 1186~1214
夫のウィリアム1世は獅子王として有名なんですが、王妃のエピソードは
これと言ってないのです・・・
イングランド王ヘンリー1世の庶子コンスタンスが母親で
ヘンリー2世の義理の従妹というぐらいでしょうか・・・
母親に翻弄された
アレグザンダー2世妃 ジョアン・オブ・イングランド
1210~1238/在位 1221~1238
ジョアンは、母であるイザベル・オブ・アングレームが
イングランド王ジョンの再婚相手に選ばれたために婚約を破棄した代償として
母の婚約者だったヒュー・ル・ブルンと結婚することが決まっていました。
(ひどい話しだね )
そのため小さな頃からヒューの館で育てられていたのですが、ジョン王が亡くなると
母のイザベルは、やっぱり自分がヒューと再婚することにします あーんぐり
そんなわけでイングランドに送り返されたジョアンには
アレグザンダー2世との結婚話がすぐに持ち上がり、11歳で23歳の若き王と結婚します。
アレグザンダ-2世は16歳で即位していましたが、賢王といわれ
ジョアンとの結婚も、ノーサンバランドの失地回復などの目論みがあったようです。
28歳の時に、病気で療養中のロンドンで死去しました。
当時の感覚から言えば、政略的な結婚はしかたがないと思いますが
母のイザベル、ひどくはないのかしら・・・
イングランドの時はロマンティックな再婚だと書いてしまいましたが
なんだか納得いかなくなったぞ!
前妻の兄を敵にまわす
アレグザンダー2世妃 マリー・ド・クーシー
1218~1285/在位 1239~1249
アレグザンダ-2世の二度目の妻マリーの父は強力な反イングランド派で
彼女との再婚は、最初の妻ジョアンの兄イングランド王ヘンリー3世を警戒させ
表立った争いはなかったものの、スコットランドとイングランドを敵対させます。
王の死後2年ほどして故郷に帰り、39歳の時に
フランスの執政官ジャン・ド・ブリエンヌと再婚しました。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)