まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スコットランド王ジェイムズ4世妃 マーガレット

2009-01-24 21:18:00 | スコットランド王妃・王女
後に大英帝国をもたらす結婚と再婚
ジェイムズ4世妃 マーガレット・テューダー


1489~1541/在位 1503~1513

15歳で即位したジェイムズ4世は、父王とは違って果断な性格でした。
国内の反乱は徐々におさまり、また、王権に属さない氏族などの鎮圧にも
力を注いでいましたが、イングランドとの関係は相変わらず不穏なままでした。
ヘンリー7世はなんとかフランスとスコットランドの結びつきを緩めようと
娘マーガレットとの婚姻を、ジェイムズ4世にしつこく申し入れます。

     

実はジェイムズ4世はマーガレット・ドゥラモンドと
事実上の結婚生活を送っていて、娘もいました。
マーガレットはデイヴィッド2世妃マーガレットの4代隔てた姪にあたります。
けれども、自分のためにスコットランド王が結婚を躊躇していると知ったマーガレットが
身を引くために、妹2人と服毒自殺してしまいました。
(自殺かそれとも・・・それは永遠の謎ですね)

ジェイムズ4世はマーガレット・テューダーとの結婚を承諾します。
ジェイムズ4世30歳、マーガレットは13歳でした。

マーガレット姉妹の死があったからなのか、ジェイムズ4世は贖罪のため
腰回り(もちろん衣服の下)に鎖を巻いていたといいますす。
13歳の少女がそれを見てどう思ったかを考えると・・・王女というのもつらいものですね。

しかし、事態はマーガレットの父ヘンリー7世の死後急変します。
ヘンリー7世の後を継いだヘンリー8世は、フランスとの争いを激化させていきます。
義弟ヘンリー8世が君臨するイングランドと、同盟国フランスの仲介役をかって出た
ジェイムズ4世でしたがうまくいかず、逆にフランス王ルイ12世の要請で
イングランドに兵をさしむけることになります。
そして1513年、名高い激戦フロドゥンにおいて戦死してしまいます。

ちなみにルイ12世はその翌年、イングランドと和解してヘンリー8世、そして
マーガレットの妹メアリー・テューダーと結婚しました。
いったいなんのためにジェイムズ4世は死ななければならなかったのでしょうね?

それはさておき・・・
幼い王を抱えた摂政マーガレットは、強力な後ろ盾を探しダグラス家にロック・オン!
親英派のアンガス伯アーチボルト・ダグラスと再婚します。
ジェイムズ4世の生前から関係があったとも言われていますけれども
ともかく王の死後1年で、しかもこっそり結婚したとあって
たちまち親仏派の反撥をまねきます。

マーガレットは摂政の座をおわれ、新たに摂政となったジェイムズ4世の従兄弟にあたる
親仏派オールバニー公ジョンによってイングランドに追放されてしまいました。
しかしこれには親英派も黙っておらず、国内は(簡単に言えば)混乱に陥ります。

国内を大わらわしたマーガレットとアンガス伯の結婚生活はまったくうまくいかず
アンガス伯がジェイムズ5世をとりこもうと軟禁したことで不仲が決定的になり離婚します。

その後、終始親英派だったメスヴァン卿ヘンリー・ステュワートと再々婚しますが
彼も殺害され、ひとり寂しい老後を過ごしてこの世を去りました。

ところで、後年イングランド王として即位するジェイムズ6世は
ジェイムズ4世とマーガレットの孫、スコットランド女王メアリーを母に持ち
マーガレットとアンガス伯の孫、ダーンリー卿ヘンリーを父に持っていたことから
ヘンリー7世に繋がり、王位継承者としてエリザベス1世に指名されます。

本当に中世の王位継承って複雑怪奇で、いったい誰がちゃんと把握してたのか
不思議でたまりません

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』
      エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王ジェイムズ3世妃 マーガレット

2009-01-24 21:17:47 | スコットランド王妃・王女
イングランドに新しい領土をもたらした
ジェイムズ3世妃 マーガレット・オブ・デンマーク


1456~1486/在位 1469~1486

またまた父王の早世によって即位したジェイムズ3世は8歳でした。
王太后であるマリーも11歳の時に亡くし
hとり残された幼王は、またもや大人たちの野心の餌食になってしまいます。

17歳の時、13歳のマーガレット・オブ・デンマークを妃に迎えますが
この結婚はスコットランドにオークニ諸島とシェトランド諸島をもたらします。

      

マーガレットの父クリスティアン1世が君臨する
カルマル同盟下のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの大連合に
北からの脅威を防ごうと組まれた婚姻だったと思うのですが
なぜかクリスティアン1世は大変困窮していたご様子で
持参金が用意できなかったそうです。

ジェイムズ3世は結婚と同時に親政に乗り出し
父王を見習って傲慢な貴族を一掃しようと考えます。
しかし父王と違って気が優しかったジェイムズ3世の処断はあまくなってしまい
かえって不満の種を増やしていってしまいます。

厳しきゃ不満を言うし、あまけりゃあまいでブツブツ言って・・・
いったいどうしろというのかね? 貴族ってワガママね

反ジェイムズ3世の急先鋒は、なんと弟のオールバニー公アレグザンダーで
イングランド王エドワード4世の援助を受けたアレグザンダーのもとに不満貴族が終結して
戦闘が始まります。

この件に関してもジェイムズ3世の対応はあまく、味方であった貴族まで敵に回す始末
その中には王太子ジェイムズも加わっていました。
王太子にその気はなかったようですが、反乱軍は粉引き小屋に隠れていたジェイムズ3世を
引きずり出してその場で殺害してしまいました。

マーガレットは王の死に先立つこと2年前、1486年に亡くなっています。
夫の死に息子が一役かっていたことを知らずにすんで幸せだったかもしれないですね。

             
            肖像画がかなりリアルになってきましたね
                   こちらは今までのタイプです


(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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スコットランド王ジェイムズ2世妃 メアリー

2009-01-24 21:17:33 | スコットランド王妃・王女
大砲に夫を奪われた
ジェイムズ2世妃 メアリー・オブ・グェルダー


1434~1463/在位 1449~1460

父王の死によって6歳で即位したジェイムズ2世は、野心満々の大人たちに囲まれて
まったく存在感を示せないまま成長しますが
虎視眈々と親政を摂った時の構想を練っていました。

18歳でその時がやってくると、まずは自らの結婚問題に手をつけます。
当時であれば、野心家に自分の娘をおしつけられても不思議ではなかったのですが
よくぞ18歳まで独身でいられました。
(スコットランド王という地位はあまりオイシくなかったのでしょうか? )

ジェイムズ2世は対外的にプラスになるという一点に絞ってお妃選びをします。
こうして選ばれたのがブルゴーニュ公の姪にあたるメアリー・オブ・グェルダーでした。

      

しかし前王の妃はイングランドから、今回はフランスから、と
敵対する国から交互に妃を迎えるあたり、スコットランドはいったい
どうしたかったのでしょうね?
とりあえずはイングランドに寄りかけていた方針を
フランス寄りに修正したかったみたいです。

ジェイムズ2世は1455年、念願だったブラック・ダグラス家一掃を成し遂げますが
そのためにオランダから輸入したといわれる大砲モンス・メグの事故で30歳で他界します。

メアリーはその3年後29歳で亡くなりました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
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