まりっぺのお気楽読書

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イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世妃 エレーナ

2009-08-24 00:15:19 | イタリア王・公妃
ムッソリーニを信じた王妃
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世妃 エレーナ・デル・モンテネグロ


1873~1952/在位 1900~1946

いきなりのモンテネグロ…モンテネグロは1878年に王国になって
第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国に占領され
後にユーゴスラヴィア王国に組み込まれてしまったという短命な王国です。

エレーナは1869年にヴィットーリオと結婚しました。
一時はエチオピア王妃とアルバニア王妃になりましたが、ヴィットーリオが早々に
王位を放棄したため短い間のことでした。

        

第一次世界大戦では連合国側について戦勝国になったんだけど
あまり働きが評価されなかったようなのね…
たいしたご褒美も無く、国はどんどん貧しくなって共産主義が台頭します。

そこへ現れたのがファシズムを提唱するムッソリーニでございます。
エレーナは王にムッソリーニに紹介し、彼の運動を後押ししました。
ヴィットーリオも、手の施し用が無くなった共産主義や自由主義封じ込めに
ムッソリーニが役立つと、むしろ好意的に接していました。

君主制を存続させたいためにムッソリーニと結託したところまでは思惑どおりですが
そこからが計算違い、ムッソリーニはファシスト党を結成し
勢力を拡大していき1922年に首相になりました。
その後の王家はお飾りに過ぎなくなっていきます。

ヴィットーリオは「ドイツが負ける」と考えていて
枢軸国側での第二次世界大戦参戦は反対したと言われていますが
結局ムッソリーニと軍部に押し切られ(いずこも同じか?)参戦しました。

エレーナの願いだったのでしょうか?
一時期ユーゴスラヴィアへ侵攻しモンテネグロ王国を復活させましたが
3年で手放すことになりました。

大戦の結果は…ご存知の通り我が国同様敗戦ですね。
ヴィットーリオと議会はムッソリーニを解任すると新政府を樹立して降伏しました。
その後、ヴィットーリオは退位してエジプトへ出国し、翌年スペインで亡くなりました。

大戦中エレーナはモンテネグロ王国が復活したり、甥のミカエル王子が釈放されたりと
いい夢を見れたようですが、戦後は亡命生活を余儀なくされました。
夫の死から5年、フランスで亡くなりました。

(参考文献 ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』 Wikipedia英語版)

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