まりっぺのお気楽読書

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トスカーナ大公レオポルド2世妃 マリーア・アントニア

2010-07-06 23:05:58 | イタリア王・公妃
最後のトスカーナ大公妃
レオポルド2世妃 マリーア・アントニア
              ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ


1814~1898/在位 1833~1859

マリーア・アントニアは両シチリア王フランチェスコ1世の王女です。
18歳の時、17歳年上の従兄レオポルドと結婚することになりました。

        

レオポルド2世と前妃マリーア・アンナには女の子しかいなかったのですが
マリーアは待望の男の子を生みました。

しかし喜びも束の間です。
イタリアは当時独立及び統一運動まっただ中でした。
オーストリアに対してピエモンテが反旗を翻した時、レオポルドは中立を宣言して
すっかり市民から軽蔑され、軍隊も命令を聞かなくなりました。

1859年4月、怒り狂った暴徒と反乱軍が宮殿前に押し寄せてきました。
大公家はボローニャに避難し、レオポルドは大公の座を息子に渡すことになりました。

その後はよく分りませんけど、レオポルドは1870年にローマで亡くなり
マリーアは1898年にオーストリアのグムンデンで亡くなっています。

結局大公位を譲られたフェルディナンド4世は1年で廃位されてしまいました。

1856年にザクセン王ヨハンの王女アンナ・ディ・サッソニアと結婚しましたが
アンナはフェルディナンドが大公になる前に亡くなりました。

廃位後の1868年にパルマ候カルロ3世の公女アリーチェと再婚しました。
結局妻はふたりとも大公妃にはなっていません。

      
       アンナ・ディ・サッソニア       アリーチェ・ディ・ボルボーネ=パルマ

(参考文献 Wikipedia英語版)

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