まりっぺのお気楽読書

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トスカーナ大公フェルディナンド2世妃 ヴィットリア

2010-07-02 23:23:10 | イタリア王・公妃
華麗なる女相続人
フェルディナンド2世妃 ヴィットリア・デッラ・ローヴェレ


1622~1694/在位 1633~1670

ヴィットリアの父はウルビーノ公子フェデリーコ、母はコジモ2世の姉クラウディアで
フェルディナンドとはいとこ同士になります。

フェデリーコはヴィットリアひとりを残して早世したため
彼女が後を継ぐことになるわけですが、公領は教皇ウルバヌス8世に没収されました。

       

ヴィットリアは1歳の時にフェルディナンドと婚約していて、12歳の時に結婚しました。
フェルディナンドは12歳年上です。

ヴィットリアはとても敬虔な教育を受けた女性でした。
そこで生まれた子どもには厳格なカトリック教育を受けさせたいと考えていました。
しかし、フェルディナンド2世はもっと現代的な教育を受けさせたいと思っていました。

フェルディナント2世は、人が良い物腰柔らかな人だったそうです。
偉そうで口うるさいとされるヴィットリアとは喧嘩が絶えなかったようですが
かなりの確立で言い負かされたんじゃないかとみるね!

それでなくても幼い頃に強気な母マリア・マッダレーナと祖母クリスティーナに挟まれ
政治を牛耳られてきたフェルディナンドは、強い女はコリゴリと思っていただろうに
妻まで強い女だったとは…

フェルディナンドは同性に安らぎを求めたのか美少年趣味があったようで
ヴィットリアはハンサムな騎士見習いと夫がベッドにいるところを見つけたりしてます。
女とベッド、美少年とベッド…もし目撃してしまったら、どっちがショックだろう?
そういえば肖像画がちょっとフレディ・マーキュリーに似てるのよねぇ…

喧嘩、仲直りを繰り返した挙げ句ふたりは別居生活に入りました。

1670年、フェルディナンド2世が亡くなり息子のコジモ3世が後を継ぎました。
ヴィットリアは息子に強い影響力を持っていて、コジモ妃マルゲリータ
激しく張り合いました…どこかで聞いたような話しね。

コジモ3世は断固母親の味方につき、相談役としてなにもかもお伺いをたてました。
嫁形無し…  姑にとってこれほど嬉しいことがあるでしょうか?

結局マルゲリータは出て行っちゃったので、孫たちの面倒も引き受けることになりました。
なぜ出て行ったかは次回のお楽しみで…

モンタルヴェの修道院とポッジョ宮殿を行ったり来たりする日々を過ごし
ピサで1694年に亡くなりました。

ヴィットリアは、父の領土は取り上げられてしまいましたが膨大な美術品が手元に残り
持参金としてメディチ家のコレクションに加えられました。

政治より美術に力を注いだと言われるフェルディナンド2世は
宮殿などの改装に

    
     フランチェスコ・フリーニ              オッタヴィオ・ヴァンニーニ

 
 ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ  ピエトロ・ダ・コルトーナ        チーロ・フェッリ

などの画家を起用しました。
ヴァンニーニが描いているのは、ロレンツォ・イル・マニフィコの偉業を讃える
ピッティ宮殿・アルジェントの間の壁画の一部です。

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

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