まりっぺのお気楽読書

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イタリア王ウンベルト2世妃 マリーア・ジョゼ

2009-08-25 01:38:53 | イタリア王・公妃
ヒトラー大嫌い! イタリア最後の王妃
ウンベルト2世妃 マリーア・ジョゼ・デル・ベルジョ


1906~2001/在位 1946

マリーアはベルギー王アルベール1世王女で、1930年にウンベルトと結婚しました。
この結婚は幸福ではなかったと彼女自身が語っていますが
政治的な理由で離婚はせず、長年別居する結果になりました。
       
大戦中、ムッソリーニ内閣の中に親しい閣僚がいて
連合国側のベルギーと繋がりが深いマリーアはイタリア、ドイツ側と
他のヨーロッパ諸国との外交の数少ない窓口でした。
イギリスの外交官は彼女を「イタリア王室で唯一政治的決断を下せる人物」だと
書き記しています。

同盟国ではありましたが、マリーアはヒトラーが大嫌い! でした。
マリーアの兄ベルギー王レオポルド3世はヒトラーのせいで退位になり
その上、ドイツに監禁されていました。

ヒトラーはイタリアを訪れた時、冷淡な扱いを受けたと怒ってますが
マリーアも(もし会ったとしたら)かなり冷たく接したんじゃないかしら?

敗戦後ウンベルトは王位を譲られたものの、国内の世論は No more King !! だったのね。
1ヶ月後に国民投票によって廃位されましたが、それまでウンベルトとマリーアは
自ら王室存続のデモに参加したりキャンペーンをはったりと夫婦で頑張りました。

結局敗れた後は一家でポルトガルへ脱出し、その後別居を決意します。
マリーアは4人の子供たちとスイスへ移りました。
離婚をしなかったのは、まだイタリア王復位を望んでいたウンベルトが
イメージダウンを恐れたからです。

ウンベルトは帰国を許されないまま1983年に亡くなり
マリーアはその後イタリアに帰りました。
2001年にジェノヴァで肺がんで亡くなりました。

彼女は気骨のある人だったみたいで、ムッソリーニが国民の名をイタリア名に
改名させようとした時、マリーア・ジョゼッペへの改名を拒否しています。
スイスではパルチザンに武器や食糧の援助を行い、彼らのシンボルになりました。
お美しいし、今ならダイアナ妃のようにカリスマ王妃として注目され
ファッション誌に特集されたりパパラッチされたりしちゃうかしら?

イタリアでは王政復古運動もあるみたいなんですが、まず息子のヴィットーリオが
王位継承権を放棄しているから(この方、かなり怪しい経歴を持っていらっしゃる)
孫のエマヌエーレ・フィリベルトもどうなんでしょう? 継承権はないのかしら?
奥様は女優のクロチルド・クローよ! 素敵ね。

私としては王国がたくさん復古してくれると楽しいんだけど(無責任発言 )

             
                小さな頃のマリー・ジョゼ
                    なんて可愛いのでしょう!!


(参考文献 ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』 Wikipedia英語版)

ヨーロッパ最後の王たち 創元社


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2 コメント

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Unknown (shinkai)
2009-09-23 05:34:54
初めまして、こんにちは! cucciolaさんの所からやって来ました。

知らない名前ばかりで、知らない事ばかりで、イタリアの王妃なら分かるかな、と思ったのですが(嘘ですよ)やはり最初の3人の名前しか知りませんでした! ははは。

たくさんの読書のお話も、ぼちぼちと。
またお邪魔させていただきます。
返信する
こんにちわ (まりっぺ)
2009-09-24 00:13:51
コメントありがとうございます。

本当にイタリアには詳しくなくてお恥ずかしいんですよ。
cucciolaさんのブログも参考にさせていただこうと思っているのですがshinkaiさんのブログも本格的ですね!

私もまたおじゃまさせて頂きます。

ふらふらしているブログですが宜しくお願い致します。
返信する

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