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トスカーナ大公フェルディナンド3世妃 マリーア・ルイーザ

2010-07-05 22:26:11 | イタリア王・公妃
三代目ハプスブルク家のトスカーナ大公妃
フェルディナンド3世妃 マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=ナポリ


1773~1802/在位 1790~1801

最後のメディチ家君主ジャン・ガストーネ亡き後は
大公の地位はパルマ公ドン・カルロスに与えられるるはずだったのですが
女帝マリア・テレジアと結婚し、ロートリンゲン公の座を明け渡した
フランツ・シュテファンが継ぐことになりました。

その後はレオポルト2世(大公妃はマリア・ルドヴィカ)が継ぎ
レオポルトが神聖ローマ皇帝に即位する際に息子フェルディナンドに引き継ぎました。

      

トスカーナ大公になったばかりのフェルディナンド3世と結婚したルイーザは
シチリア王フェルディナンド1世とオーストリア大公女マリア・カロリーナの王女で
フェルディナンド3世のいとこにあたります。

       

トスカーナは1801年にナポレオンに侵攻され王族は追放されました。
その後はブルボン家がエルトリア王国をつくって王についたり
ナポレオンの妹が大公になったりします。

追放中、フェルディナンド一家はウィーンで暮らしていましたが
兄レオポルト2世からザルツブルクを与えられ、大公として移り住みました。

ルイーザはその翌年、6人目の出産で亡くなっています。
夫婦仲のエピソードは無いんですけれど
その後20年フェルディナンドが再婚しなかったところをみると仲が良かったのかしら?

ルイーザの死から12年、フェルディナンドはウィーン会議によって称号を取り戻し
トスカーナへ帰りました。

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

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