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フランス王シャルル6世愛妾 オデット

2010-02-03 00:10:24 | 王の寵姫・愛妾
“ 小さな王妃様 ” と呼ばれた愛妾
オデット・ド・シャンディベール


1390~1425/愛妾 1407~1422

オデットは、発作がおこると王妃イザベルを恐れるようになったシャルル6世を
王妃に変わって(いろんな意味で)お世話するために選ばれた女性でした。

父親(兄説あり)とされるギィなる人物は、王妃イザベルの従者と
シャルル6世のかまど番との2名の記録が残っていますが
どちらもブルゴーニュ公の忠実な徒党でした。
ブルゴーニュ公ジャンは、王がブルゴーニュ派に加担するよう説得しろと
オデットに頼んだと言われています。

        

シャルル6世の弟で、敵でもあり、その上王妃の愛人だったオルレアン公ルイが
亡くなった1407年頃から王の愛妾になりました。
その年のうちにマルグリートという娘が生まれています。

精神病の王に打ちのめされ、恐れ、嫌って不貞をはたらいていた王妃イザベルは
オデットが自分の代わりをつとめることを許し、自ら王の寝室に手引きしたそうです。
イザベルもいろいろ言われていますが、彼女なりにつらかったのでしょうね。

              
                 王妃イザベルとオデット
                何をお話しているのかしら? 気になる1枚です


オデットはシャルル6世や宮廷の人々に “ 小さな王妃様 ” と呼ばれていました。
陽気で美しく、優しい性格のオデットは
不幸な国王をできるかぎりの献身と忍耐で愛し守りました。

オデットは、カード遊びをフランスに広めた女性だと言われていますが
これは王が精神の発作をおこした間の暇つぶしだったようで、悲しい副産物ですね。

オデットと過ごした15年の間に、王は彼女の献身に対して数々の贈り物を与えました、が
贈り物って言ったって、王様がくれる物はすごいのよ!
少なくともマルヌのクレテイユとパリのバニョレの荘園、ポワトゥーのベルヴィルの領地が
贈られました…でっっっかい土地ですよ。

1422年にシャルル6世が亡くなる時、口にした言葉は「オデット」でした。
王妃イザベルは葬儀に出席しませんでした。

オデットはその後王に贈られたサン・ジャン・ド・ロンスの城に娘と移り住み
どうやらブルゴーニュ公ジャン3世からも援助を受けて暮らしていましたが
イングランド軍が優勢になってくると領地も取り上げられ貧乏生活を余儀なくされました。

1424年以降のことははっきりしていません。
ドーフィネで1425年に亡くなったと言われています。
娘のマルグリートは、1428年に義理の兄にあたるシャルル7世によって正当な嫡子とされ
領主のもとへ嫁ぎました。

狂王と分かっている人のもとへ17歳で差し出されるという不幸を受け入れ
最後まで優しさで包んで逝かせてあげた女性の死がはっきりしないというのは
哀しいことですね
誰かちゃんと面倒をみてあげられなかったのかしら?

ちなみに王妃イザベルはヘンリー5世の保護下で暮らし、1435年に亡くなってます。
これが正式な結婚とそうでない関係の違いなのだろうか?
愛の深さは関係ないんだね…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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