まりっぺのお気楽読書

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トスカーナ大公フランチェスコ1世妃 ジョヴァンナ

2010-06-24 22:44:31 | イタリア王・公妃
お義父様がいてよかった…
フランチェスコ1世妃 ジョヴァンナ・ダウストリア


1547~1578/在位 1574~1578

父は神聖ローマ皇帝フェルディナント1世、母はアンナ・フォン・ハンガリーです。
父方の祖母がカスティーリャ女王ファナでございます。

      
ジョヴァンナは18歳の時にフランチェスコと結婚しました。

祝典は盛大なものでしたが、ジョヴァンナはフィレンツェに暖かみを感じられず
ホームシックにかかって、その後馴染むことができませんでした。

義父のコジモ1世はとても優しくジョヴァンナに接し
パラッツォ・ヴェッキオを特別に飾り、壁画に故郷の街並を描いてくれたりしましたが
夫フランチェスコは妻を顧みず、宮廷人たちは彼女のオーストリア気質を軽蔑しました。

フランチェスコは陰気で孤独癖があり、化学の実験に没頭して政治を投げ出すという
無責任君主でした。
ジョヴァンナも凡庸で教養に欠けていたと言われ、なんか暗そうな夫婦…

また、ジョヴァンナは次々と子どもを生んだものの女の子ばかりで
早く世継ぎがほしいフランチェスコと喧嘩が絶えませんでした。
娘のひとり、マリーアは後にフランス王アンリ4世妃になりました。

父コジモの再婚には「スキャンダルになる!」と反対しまくっていたフランチェスコは
愛妾ビアンカ・カペッロに夢中になり、自分こそスキャンダルになっていました。
ジョヴァンナは義父コジモ1世に訴えたり、神聖ローマ皇帝に直訴したりして
浮気を止めさせようとしましたが、フランチェスコの不貞はおさまりませんでした。

1574年にコジモ1世が亡くなると、フランチェスコはビアンカに別荘を与えて
公然と入り浸るようになります。
しかもビアンカは男の子を生んでフランチェスコ大喜び!

1577年、ジョヴァンナは待望の男の子フィリッポを生みます。
そして翌年にも妊娠しましたが、デュカル宮殿の階段から落ちてしまいました。
翌日男の子を生みましたがすぐに亡くなり、ジョヴァンナも亡くなりました。

当時メディチ家にはスキャンダラスな死がいくつかあったのですが
フランチェスコはジョヴァンナの死から2ヶ月後にビアンカと再婚したもんだから
当然ジョヴァンナの死も殺害の噂がたちました。

               
                タッチは変わっても寂しげですね

仲が悪いといいながらお子様もたくさん生まれていますのでね…
ビアンカがいなければ喧嘩しながらもなんとかやっていけた夫婦だったんじゃないかしら?
それで老後に「若い頃はこの人もしょうもない人で…」「お前には悪かったね」なんて
しみじみ回想しちゃったりして。

さて、フランチェスコとビアンカの今後は…つづく

(参考文献 森田義之氏『メディチ家』 Wikipedia英語版)

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