![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/29/05731144d08559c29d4ef386f2b139cb.jpg)
ミレーも魅せられたロイヤル・ミストレス
リリー・ラングトリー
1853~1929/愛妾 1877~1880
本名はエミリー・ブレトン、ジャージー島の教区牧師の娘です。
20歳の時兄嫁の義理の兄弟で地主のエドワード・ラングトリーと結婚しました。
エドワードはヨット遊びに熱中するまさに海沿いが似合う男性だったのですが
リリーが駄々をこねて夫婦はロンドンに移り住むことになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/fb/0dcfce9c8cb2fa4a92d0cc11b4c56dcb.jpg)
あるレセプションで、黒いシンプルなドレスを着ただけで
宝石も身に着けていないリリーが、着飾った淑女たちの中でかえって注目を浴びます。
その日描かれた数枚のスケッチは人気のポストカードになりました。
また、その日居合わせたミレーが描いたリリーの肖像画もたいへん話題になり
彼女は一躍社交界の人気者なりました。
ちなみに、肖像画の題名にもなっている “ ジャージー・リリー ” は
彼女の故郷ジャージー島の花の名です。 ベラドンナの一種みたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/47/22757c669d583a3dd6387fcee310087f.jpg)
ミレーが描いたリリー
社交界で人気者になったリリーの噂は宮廷まで届きました。
エドワードがほっとくわけありませんね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp23.gif)
あるパーティーでリリーの隣に座れるように手をまわしてまんまと成功。
1877年頃にリリーはエドワードの “ ロイヤル・ミストレス ” になりました。
これは王の愛妾として認められたということで、単なる愛人や浮気相手ではありません。
エドワードはリリーに夢中で、ボーンマスにふたりのための別荘を建てたりします。
リリーには母君ヴィクトリア女王や王妃アレクサンドラ も魅せられて
本妻と愛人が仲良く同じパーティーに顔をそろえるという不思議な状態…
1879年にサラ・ベルナールが登場するとリリーは寵愛を失っていきます。
それに同じ頃リリーはエドワードの義理の従兄弟にあたるルイス・バッテンベルクとも
恋愛関係にありました。
ルイスは現女王エリザベス2世の夫エディンバラ公のおじいさまです。
リリーは妊娠しパリで女の子を生みました。
子供はルイスが引きとりましたが、どうやら父親は同じ頃につき合っていた
アーサー・ジョーンズじゃないか…? とも言われています。
同じ頃、サルスベリー伯と駆落ちしようとしていた節もあり…めちゃくちゃですね。
この頃が一番乱れていたのではないでしょうか?
夫のエドワードはリリーとの離婚申請を出しています。
1881年に友人のオスカー・ワイルドにすすめられて女優になったリリーは
アメリカに渡って次々と億万長者たちの愛人になり、1897年にやっと離婚が成立すると
ものすごく若いヒューゴ・ド・バースと再婚しました。
でもヒューゴはお金目当てだったみたい… リリーはほったらかしにされて
晩年はモナコで孤独な生活を送り、1929年に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/e0/39f3c2574342bc7a5a811bd23e6715d9.jpg)
晩年のリリー。美しさは衰えなかったそうです
リリーは広告モデルもつとめたことがあって石鹸のパッケージにもなっています。
一流の画家にポートレートも描いてもらえて、商品のキャラクターにまでなるなんて
今とはなんて違う世の中なんでしょうね。
ドゥミモンド、いわゆる高級娼婦に憧れる少女たちがいても不思議じゃないですね。
(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 森譲氏『英国王妃物語』
エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
王様たちの恋愛スキャンダル満載です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
![](http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=4584188793&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=marifle1010-22)
リリー・ラングトリー
1853~1929/愛妾 1877~1880
本名はエミリー・ブレトン、ジャージー島の教区牧師の娘です。
20歳の時兄嫁の義理の兄弟で地主のエドワード・ラングトリーと結婚しました。
エドワードはヨット遊びに熱中するまさに海沿いが似合う男性だったのですが
リリーが駄々をこねて夫婦はロンドンに移り住むことになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/fb/0dcfce9c8cb2fa4a92d0cc11b4c56dcb.jpg)
あるレセプションで、黒いシンプルなドレスを着ただけで
宝石も身に着けていないリリーが、着飾った淑女たちの中でかえって注目を浴びます。
その日描かれた数枚のスケッチは人気のポストカードになりました。
また、その日居合わせたミレーが描いたリリーの肖像画もたいへん話題になり
彼女は一躍社交界の人気者なりました。
ちなみに、肖像画の題名にもなっている “ ジャージー・リリー ” は
彼女の故郷ジャージー島の花の名です。 ベラドンナの一種みたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/47/22757c669d583a3dd6387fcee310087f.jpg)
ミレーが描いたリリー
社交界で人気者になったリリーの噂は宮廷まで届きました。
エドワードがほっとくわけありませんね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp23.gif)
あるパーティーでリリーの隣に座れるように手をまわしてまんまと成功。
1877年頃にリリーはエドワードの “ ロイヤル・ミストレス ” になりました。
これは王の愛妾として認められたということで、単なる愛人や浮気相手ではありません。
エドワードはリリーに夢中で、ボーンマスにふたりのための別荘を建てたりします。
リリーには母君ヴィクトリア女王や王妃アレクサンドラ も魅せられて
本妻と愛人が仲良く同じパーティーに顔をそろえるという不思議な状態…
1879年にサラ・ベルナールが登場するとリリーは寵愛を失っていきます。
それに同じ頃リリーはエドワードの義理の従兄弟にあたるルイス・バッテンベルクとも
恋愛関係にありました。
ルイスは現女王エリザベス2世の夫エディンバラ公のおじいさまです。
リリーは妊娠しパリで女の子を生みました。
子供はルイスが引きとりましたが、どうやら父親は同じ頃につき合っていた
アーサー・ジョーンズじゃないか…? とも言われています。
同じ頃、サルスベリー伯と駆落ちしようとしていた節もあり…めちゃくちゃですね。
この頃が一番乱れていたのではないでしょうか?
夫のエドワードはリリーとの離婚申請を出しています。
1881年に友人のオスカー・ワイルドにすすめられて女優になったリリーは
アメリカに渡って次々と億万長者たちの愛人になり、1897年にやっと離婚が成立すると
ものすごく若いヒューゴ・ド・バースと再婚しました。
でもヒューゴはお金目当てだったみたい… リリーはほったらかしにされて
晩年はモナコで孤独な生活を送り、1929年に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/e0/39f3c2574342bc7a5a811bd23e6715d9.jpg)
晩年のリリー。美しさは衰えなかったそうです
リリーは広告モデルもつとめたことがあって石鹸のパッケージにもなっています。
一流の画家にポートレートも描いてもらえて、商品のキャラクターにまでなるなんて
今とはなんて違う世の中なんでしょうね。
ドゥミモンド、いわゆる高級娼婦に憧れる少女たちがいても不思議じゃないですね。
(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』 森譲氏『英国王妃物語』
エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
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私は「面白くない絵だ」と聞かされながらもミレーの絵が大好きなので入れてみました。
晩年まで美しかったとは…うらやましい話しです。