まりっぺのお気楽読書

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イギリス王エドワード7世愛妾 デイジー

2009-09-13 01:59:20 | 王の寵姫・愛妾
王妃が唯一許せなかった愛妾
ウォーリック伯夫人 デイジー・グレヴィル


1861~1938/愛妾 1886~1898

何度も言うけど、101人の愛人がいたエドワード7世。
王妃アレクサンドラもいちいち怒ってられず、寛容に受け入れていたようですが
唯一嫌いだと公言していたのがデイジー・ウォーリックです。

父親のチャールズ・メイナードは領主です。
母親のブランシュ・フィッツロイはチャールズ2世の愛妾ネル・グィン
バーバラ・ヴィリアーズの血をひいています。
ブランシュはチャールズの死から2年後、ロズリン卿と再婚しましたが
彼はヴィクトリア女王のお気に入りってことでデイジーも女王の覚えめでたくなります。

王子レオポルド(エドワードの弟)のお妃候補にもなりましたが
レオポルドには意中の人がいてふられちゃいました。
1881年にウォーリック伯の長男フランシス・グレヴィルと結婚しました。

       
美しくてパワフルなフランシスとデイジーは社交界にひっぱりだこの夫婦でした。
名士が集まっていたモールバラハウスのメンバーにも属していて
デイジーはそこでとっかえひっかえ愛人を作っていたそうです。
女性が身分の高い男性と浮気をするのは当時そんなに悪いことじゃなかったんだって
夫も社交界や政界で出世に役に立つってことで暗黙の了解だったそうです。

デイジーが愛人のベレズフォードの不実からトラブルになった手紙の件で
メンバーのひとりだったエドワードに相談したことから
逆にエドワードの愛人になっちゃいました。
これは作戦だろうか? 恋人の相談ってけっこう使う手ですよね?

デイジーは今ならおしゃれアイコンって言うのかしら?
この言い方は古いのかしら?
ドレスにものすごくお金をかけていて、彼女の装いは新聞などで逐一紹介されました。
エドワードもデイジーが着飾るのが好きで、気前よく払ってあげました。

デイジーは自分がまるで王太子妃と対等だと言わんばかりの態度で振る舞いました。
王太子妃はデイジーが出かけるパーティーには一切出ないようにしたため
人々は王太子妃とデイジーのどちらをエドワードと招けば良いか迷ったそうです。

デイジーは社会問題に関心が高く、エドワードも理解を示していました。
彼女はエセックスに裁縫学校や、女性のための職業訓練校も設立しています。
しかし次第に社会主義にのめり込んでいったことから二人は別れることになりました。
すでにアリス・ケペルがいましたから、口実かもしれませんが…
別れるにあたって、デイジーは王太子妃に手紙を送って謝罪し
王太子妃も許しの手紙を与えました。

エドワード7世は1910年に亡くなります。
その時借金を抱えていたデイジーは息子のジョージ5世に
「エドワードのラブレターを公開しちゃうわよ!」と脅しをかけましたが
これはスタンフォーダム卿によって阻止されました。

ウォーリック城内には庭園付きのレジデンスがあって
1910~1928年、H・G・ウエルズが借りていたそうです。
苦しいから下宿屋を始めたってことでしょうか?

(参考文献 森譲氏『英国王妃物語』 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』
      Wikipedia英語版)

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