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夫に振り向いてもらいたいのに・・・
カール15世妃 ロヴィーナ・アヴ・ネーデルナ
1828~1871/在位 (スウェーデン・ノルウェー王妃)1859~1871
カール15世は国民には人気があった王でした。
しかし、汎スカンジナヴィア主義は立ち行かず、議会は王に反対するようになり
王権の力が徐々に衰退するのを止めることはできませんでした。
母ヨゼフィナは “ ナポレオーネ ” というミドルネームを取り去って嫁いだというほど
ナポレオン嫌いがスウェーデン宮廷に蔓延していたというのに
なぜかナポレオンが好きだったらしくポーズを真似ていたというカール15世の妃は
オランダ王ウィレム1世王子フレデリックの王女ロヴィーナです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/eb346f278d319b8cedbc56cedf1b3ccc.jpg)
ロヴィーナはベルナドッテ家に継承者と莫大な持参金をもたらすために選ばれた相手でしたが
実際はたいした持参金無く、22歳の時にスウェーデンに嫁ぎました。
だから…というわけでもないでしょうが、カールはロヴィーナに興味を示さず
すぐに浮気にはしりました。
反対にロヴィーナがすぐにカールを好きになってしまったことは悲劇ですよね。
カールが父王オスカル1世の病に伴い摂政に就くと
ロヴィーザは “ 才能溢れ、心地よさをもたらし、カールによい影響を与える女性 ” と
賞讃されました。
でもカールにはロヴィーナの良さがわからなかったみたい…
カールはロヴィーナの侍女だったヨゼフィナ・シュパラーを愛妾にします。
ヨゼフィナは横柄な女性だったようで、宮廷内でもカールにべったりはりつき
まるでカールの妃みたいに振る舞いました。
内気なロヴィーナは何もできず、王太子妃と侍女が逆転したみたいになっていたそうです。
カールは浮気性だったみたいで、他にも女優やジャーナリストなどと浮気を繰り返します。
1859年に夫がカール15世として即位します。
前王妃ヨゼフィナが宗教上できなかったノルウェーでも戴冠したロヴィーナは
一瞬人気者になりましたが、なにしろ引っ込み思案で大人しくて無口…
カール15世とは正反対の性格で、どうにもこうにも華がなかったのね。
ロヴィーナはなんとか夫に気に入られようとしていました。
義母ヨゼフィナの発言力をカールが嫌っていると知って寡黙な女性に徹したようですが
カールは振り向いてくれませんでした。
ロヴィーナは結婚後1年目に王女で後のデンマーク王フレデリク8世妃ルイーセを生み
翌年に王子カール・オスカルを生んだのですが、この出産で不妊になってしまっていました。
ロヴィーナは離婚を考えたみたいですが、カールは離婚しませんでした。
カールはこの件をいつまでも恩に着せていたみたいです。
放ったらかしにされたロヴィーナは寂しさのあまり体調を崩しました。
さらに追い打ちをかけるようにカール・オスカルが2歳で亡くなってしまいます。
ある日、ピクニックに出かけたロヴィーナはひきつけをおこしました。
癲癇らしいのですが「夫に無視されてヒステリーをおこしたのだ」と言われました。
ひきつけはしばしばおこるようになります。
その後は病気を理由に式典を欠席しがちになりましたが
独りで式典に出るのが嫌いなカールは、時々無理矢理ロヴィーナを連れて行きました。
あまりの顔色の悪さに出席者がビックリしたこともあったそうです。
妻として扱っていないくせに、自分に必要な時だけ妻の役目を果たさせようなんて…
勝手ですよね! 普段から妻として敬い、優しくしろっつーの!
ロヴィーナは宮廷に出ず静かな暮らしを好んで送っていましたが
ファッションには凝っていて、ものすごく優美なドレスを身につけていました。
誰も見ていないところでオシャレ… 想像するとなんか哀しい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
1870年から病に罹っていたカールを看病していたロヴィーナは
1871年の3月、散歩中に肺炎にかかり亡くなりました。
夫カールも生存中だった義母ヨゼフィナも病気で葬儀には参列しませんでした。
這ってでも出ないかっ! カール!! って言いたいわ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ちなみに、カール15世は翌年の9月に亡くなりました。
妻のお葬式ぐらい、無理すれば出られたんじゃないかしらね… なんて勘ぐってみました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)
カール15世妃 ロヴィーナ・アヴ・ネーデルナ
1828~1871/在位 (スウェーデン・ノルウェー王妃)1859~1871
カール15世は国民には人気があった王でした。
しかし、汎スカンジナヴィア主義は立ち行かず、議会は王に反対するようになり
王権の力が徐々に衰退するのを止めることはできませんでした。
母ヨゼフィナは “ ナポレオーネ ” というミドルネームを取り去って嫁いだというほど
ナポレオン嫌いがスウェーデン宮廷に蔓延していたというのに
なぜかナポレオンが好きだったらしくポーズを真似ていたというカール15世の妃は
オランダ王ウィレム1世王子フレデリックの王女ロヴィーナです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/eb346f278d319b8cedbc56cedf1b3ccc.jpg)
ロヴィーナはベルナドッテ家に継承者と莫大な持参金をもたらすために選ばれた相手でしたが
実際はたいした持参金無く、22歳の時にスウェーデンに嫁ぎました。
だから…というわけでもないでしょうが、カールはロヴィーナに興味を示さず
すぐに浮気にはしりました。
反対にロヴィーナがすぐにカールを好きになってしまったことは悲劇ですよね。
カールが父王オスカル1世の病に伴い摂政に就くと
ロヴィーザは “ 才能溢れ、心地よさをもたらし、カールによい影響を与える女性 ” と
賞讃されました。
でもカールにはロヴィーナの良さがわからなかったみたい…
カールはロヴィーナの侍女だったヨゼフィナ・シュパラーを愛妾にします。
ヨゼフィナは横柄な女性だったようで、宮廷内でもカールにべったりはりつき
まるでカールの妃みたいに振る舞いました。
内気なロヴィーナは何もできず、王太子妃と侍女が逆転したみたいになっていたそうです。
カールは浮気性だったみたいで、他にも女優やジャーナリストなどと浮気を繰り返します。
1859年に夫がカール15世として即位します。
前王妃ヨゼフィナが宗教上できなかったノルウェーでも戴冠したロヴィーナは
一瞬人気者になりましたが、なにしろ引っ込み思案で大人しくて無口…
カール15世とは正反対の性格で、どうにもこうにも華がなかったのね。
ロヴィーナはなんとか夫に気に入られようとしていました。
義母ヨゼフィナの発言力をカールが嫌っていると知って寡黙な女性に徹したようですが
カールは振り向いてくれませんでした。
ロヴィーナは結婚後1年目に王女で後のデンマーク王フレデリク8世妃ルイーセを生み
翌年に王子カール・オスカルを生んだのですが、この出産で不妊になってしまっていました。
ロヴィーナは離婚を考えたみたいですが、カールは離婚しませんでした。
カールはこの件をいつまでも恩に着せていたみたいです。
放ったらかしにされたロヴィーナは寂しさのあまり体調を崩しました。
さらに追い打ちをかけるようにカール・オスカルが2歳で亡くなってしまいます。
ある日、ピクニックに出かけたロヴィーナはひきつけをおこしました。
癲癇らしいのですが「夫に無視されてヒステリーをおこしたのだ」と言われました。
ひきつけはしばしばおこるようになります。
その後は病気を理由に式典を欠席しがちになりましたが
独りで式典に出るのが嫌いなカールは、時々無理矢理ロヴィーナを連れて行きました。
あまりの顔色の悪さに出席者がビックリしたこともあったそうです。
妻として扱っていないくせに、自分に必要な時だけ妻の役目を果たさせようなんて…
勝手ですよね! 普段から妻として敬い、優しくしろっつーの!
ロヴィーナは宮廷に出ず静かな暮らしを好んで送っていましたが
ファッションには凝っていて、ものすごく優美なドレスを身につけていました。
誰も見ていないところでオシャレ… 想像するとなんか哀しい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
1870年から病に罹っていたカールを看病していたロヴィーナは
1871年の3月、散歩中に肺炎にかかり亡くなりました。
夫カールも生存中だった義母ヨゼフィナも病気で葬儀には参列しませんでした。
這ってでも出ないかっ! カール!! って言いたいわ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ちなみに、カール15世は翌年の9月に亡くなりました。
妻のお葬式ぐらい、無理すれば出られたんじゃないかしらね… なんて勘ぐってみました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)