![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/21/d9e757be3ff608a8a0488ec9faa4821b.jpg)
“女王”であった王妃
ヘンリー6世妃 マーガレット・オブ・アンジュー
1429~1482/在位 1444~1461、1470~1471
生後9ヶ月で王になったヘンリー6世は、不幸にも母方の祖父である
フランス王シャルル6世の血を受け継いでしまい、精神異常の傾向がありました。
軍事的、政治的に全く無能だったことから、主導権争いがおこり、薔薇戦争へと
イングランド内乱の時代を招きます。
そんな王を助けたというよりは、主導権を奪い取ったという女傑、王妃マーガレットは
フランス王シャルル7世妃マリー・ダンジューの姪にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/17/965596e19fc177ead208dbccfae79556.jpg)
フランスとの戦争に次々と敗れ、領土の大半を失いつつあったイングランドは
休戦に持ち込むためヘンリー6世とフランス王女の結婚を申し入れます。
しかしシャルル7世はこれを断り、マーガレットとの結婚を休戦の条件にします。
なぜかしら?
すでにヘンリー6世の狂気や無能ぶりが伝わっていたんですかね?
それともマーガレットに手を焼いていたんでしょうか?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
マーガレットは15歳で輿入れすると、信頼する和平派サフォーク公の意を受けて夫を説き
主戦派グロースター公を逮捕、処刑し、ヨーク公(後のエドワード4世の父)を
追放処分にします。
この後マーガレットとヨーク公の衝突は続きますが
1455年、議席を剥奪されるに及んでヨーク公が蹶起します。
本来ヨーク公の権利が戻って落ち着くはずだった戦いは
マーガレットの、ヨーク公を叩きのめしたいという欲望から泥沼化します。
結局、1971年まで続いたランカスター VS ヨークの戦いの中でヘンリー6世は廃位され
一度は奪回したものの最後はヨーク家に敗れます。
その間、王であるヘンリー6世はどうしていたかというと、捕えられ、逃げ出し、発狂し、
とまるきり役立たずで 、マーガレットが兵を集めたりヘンリーの救出を指揮したりと
東奔西走していました。
マーガレットはヘンリー6世を愛していたのではないと思います。
たぶん、息子エドワードを王にしたいために戦っていたのでしょう。
しかし皇太子エドワードは殺され、ヘンリー6世は獄中で死亡し
ランカスター家の王位は3代で終わりを告げます。
マーガレットは、5年の牢獄生活の後フランスに帰されますが
フランス王ルイ11世は彼女を手厚く庇護しようとはしなかったらしく
7年後貧困の中で亡くなります。
本来は平和の使者であったマーガレットが、国内に戦乱をひき起こしたことになりますが
政治的に浅はかではあっても、責任感がと意志は強い
背負った使命を全うする人だったんじゃないでしょうか?
男だったら良かったかも![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
イングランドでの彼女の評価は散々ですが、王に変わって政争に巻き込まれ、
矢面にたたされてしまった不幸な王妃だと、私は思います。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
石井美樹子氏 『イギリス・ルネサンスの女たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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ヘンリー6世妃 マーガレット・オブ・アンジュー
1429~1482/在位 1444~1461、1470~1471
生後9ヶ月で王になったヘンリー6世は、不幸にも母方の祖父である
フランス王シャルル6世の血を受け継いでしまい、精神異常の傾向がありました。
軍事的、政治的に全く無能だったことから、主導権争いがおこり、薔薇戦争へと
イングランド内乱の時代を招きます。
そんな王を助けたというよりは、主導権を奪い取ったという女傑、王妃マーガレットは
フランス王シャルル7世妃マリー・ダンジューの姪にあたります。
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フランスとの戦争に次々と敗れ、領土の大半を失いつつあったイングランドは
休戦に持ち込むためヘンリー6世とフランス王女の結婚を申し入れます。
しかしシャルル7世はこれを断り、マーガレットとの結婚を休戦の条件にします。
なぜかしら?
すでにヘンリー6世の狂気や無能ぶりが伝わっていたんですかね?
それともマーガレットに手を焼いていたんでしょうか?
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マーガレットは15歳で輿入れすると、信頼する和平派サフォーク公の意を受けて夫を説き
主戦派グロースター公を逮捕、処刑し、ヨーク公(後のエドワード4世の父)を
追放処分にします。
この後マーガレットとヨーク公の衝突は続きますが
1455年、議席を剥奪されるに及んでヨーク公が蹶起します。
本来ヨーク公の権利が戻って落ち着くはずだった戦いは
マーガレットの、ヨーク公を叩きのめしたいという欲望から泥沼化します。
結局、1971年まで続いたランカスター VS ヨークの戦いの中でヘンリー6世は廃位され
一度は奪回したものの最後はヨーク家に敗れます。
その間、王であるヘンリー6世はどうしていたかというと、捕えられ、逃げ出し、発狂し、
とまるきり役立たずで 、マーガレットが兵を集めたりヘンリーの救出を指揮したりと
東奔西走していました。
マーガレットはヘンリー6世を愛していたのではないと思います。
たぶん、息子エドワードを王にしたいために戦っていたのでしょう。
しかし皇太子エドワードは殺され、ヘンリー6世は獄中で死亡し
ランカスター家の王位は3代で終わりを告げます。
マーガレットは、5年の牢獄生活の後フランスに帰されますが
フランス王ルイ11世は彼女を手厚く庇護しようとはしなかったらしく
7年後貧困の中で亡くなります。
本来は平和の使者であったマーガレットが、国内に戦乱をひき起こしたことになりますが
政治的に浅はかではあっても、責任感がと意志は強い
背負った使命を全うする人だったんじゃないでしょうか?
男だったら良かったかも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
イングランドでの彼女の評価は散々ですが、王に変わって政争に巻き込まれ、
矢面にたたされてしまった不幸な王妃だと、私は思います。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
石井美樹子氏 『イギリス・ルネサンスの女たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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