まりっぺのお気楽読書

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ポーランド王アウグスト2世愛妾 マリア・アウローラ

2009-11-21 02:03:45 | 王の寵姫・愛妾
流浪の貴婦人
マリア・アウローラ・フォン・ケニヒスマルク


1662~1728/愛妾 1694~1700

どの国にも強者がいるものですが、ポーランドからはアウグスト2世です。
(とはいってもドイツのザクセン選帝侯で、選挙で王になりました)

アウグストは強王、強健王と言われます。
もちろん力持ちでもあり、周辺の国からの干渉と戦いながら王の座に2度も就き、という
男らしさから呼ばれていると思うんだが、女性関係でもかなりの強者で…

なんと子供が 365~382人! 正確な数さえ分かりゃしない。
愛人が何人いたか知れないが、350人以上の子供って…学校作れちゃうじゃんか

そんなわけで素性が分かっている愛妾を何人かご紹介しようと思います。

マリア・アウローラはスウェーデンの貴族ケニヒスマルク伯の娘です。
弟は大英帝国王ジョージ1世妃ゾフィア・ドロテアの愛人で
行方不明になってしまったフィリップ・クリストフです。

     

父親が1673年に亡くなると、どうやら領地を没収されてしまったみたいで
母親とともにスウェーデンやドイツの親族を渡り歩く生活を送ります。

スウェーデンでは、ウルリーカ王妃がパトロンの宮廷劇団に参加し
女性だけで演じられたラシーヌの劇に男役で登場したりしてます。
また常に詩人等が集う知的なサークルにも属していました。
1691年に母親が亡くなると、マリアと妹はハンブルクに滞在しますが
そこでもマリアの美しさと才気は知れ渡り人々を魅了しました。

1694年、マリアはハノーヴァーで奇妙な消え方をした弟を捜し出そうと
ドレスデンへ向かい、ザクセン選帝候フリードリヒ・アウグスト1世
(後のポーランド王アウグスト2世)に援助を請います。

たぶん自分の美しさを分かってやったことでしょうが
案の定すぐに愛妾になりました。 子供も生まれています。

しかし選帝侯はすぐにマリアに飽きてきます。
そこでマリアはクヴェトリンブルクの修道院長の地位を手に入れようと考えます。
以前『Sony 世界遺産』で見たんですけど、クヴェトリンブルク修道院は
神聖ローマ皇帝の支配下にあって絶大な富と権力を持っていたらしいよ。

とりあえず1698年に修道院長補佐になり、1700年には学寮長になりましたが
修道院長にはなれなかったんですね。

ベルリン、ドレスデン、ハンブルクなどを拠点に過ごしている間に
愛妾の座は侍女のマリア・アウローラに奪われてしまっていました。

ヴォルテールが “ ふたつの世紀に渡って最も名高い女性” と呼んだマリアは
62歳の時、クヴェトリンブルクで亡くなりました。

弟探しはどうなったのかしらね?

ちなみに、マリアのひいひいひい孫のオーロール・デュパンは作家になりました。
その作家とは? あのジョルジュ・サンドでございます。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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1 コメント

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ゾフィ・ドロティア (12このめがね)
2010-01-21 16:10:24
ゾフィー・ドロティアの愛人の姉が弟を探したとは! 行方不明者に近親者がいれば当然探すでしょうが、こうゆう史実を知ると、歴史の絵巻の奥行きががぐっと広まります。
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