美人好きの王が選んだ王妃
グスタフ4世アドルフ妃 フレデリカ・アヴ・バーデン
1781~1826/在位 1797~1809
父王グスタフ3世の暗殺により急遽14歳で即位したグスタフ4世アドルフは
ロシアと同盟を結びたくて、自ら縁談をアレンジしていました。
パーヴェル1世公女アレクサンドラに求婚しましたが断られ
アレクサンドル1世妃エリザヴェータを姉に持つフレデリカと
19歳の時に結婚しました。
グスタフは気が弱く暗い少年でしたが、なぜかお妃選びには積極的。
なんでも美しい奥さんがほしかったんですって。
17歳の時にメクレンブルク=シュヴェリーン公女ルイーゼと縁談があって断られてますが
彼女は美しくなかったということで、ほっと胸をなでおろしたのではないでしょうか?
フレデリカは公子の公女で、王妃になるなんて考えていなかったのかも…
最低限の教育しか受けていません。
スウェーデンでは義母ソフィアに愛情深く接してもらうことができましたが
厳しい宮廷作法にも、侍女たちとの付き合い方にも馴染めませんでした。
グスタフ4世とフレデリカの仲は良くも悪くもなかったようですが…
なんて言うの…
グスタフは母親に似て内向的でよそよそしいタイプだったんだけれども
性的には積極的だったのね…
むっつりスケベですか? 妻が好きというより妻とのセックスが好き、という人で
朝になっても王妃の寝室係が入室できないことがしばしばありました。
議会(!)が妃の健康を考えるように止めようとしたこともありましたし
フレデリカも「疲れるわ~」とこぼしていました。
しかし疲れる一方でフレデリカはスウェーデンの自由なセックス事情に興味津々で
宮廷で見聞きしたあんなこと、こんなことを家族に書き送っていました。
送られた親はなんて返事を書いていたんでしょうね? そっちの方が興味あるわ。
さて、スウェーデンもこの後ナポレオン旋風に巻き込まれます。
ロシアからの脅威がせまりつつあったスウェーデンは、ロシアと手を組むか
フランスと手を組んでロシアと対抗するかの二者択一をせまられます。
ナポレオン大嫌い! なグスタフはロシアと協力関係を結ぶ方を選びました、が
いろいろあって、結局ロシアがフランスと密約を結んで和解してしまって
スウェーデンにもフランスと和平を結ぶように強制してきました。
この時フレデリカは姉の皇后エリザヴェータに言われてグスタフを説得しましたが
これによって夫婦仲が悪化しました。
グスタフはブルボン家の復活を願っていて、ナポレオンを皇帝と認めていなかったのね。
その後フランスにポンメルンを奪われ、ロシアにフィンランドを奪われと
次々に外交で失敗したグスタフは、1809年に廃位されました。
グスタフはグリプスホルム城に、フレデリカと子供たちはハーガ宮殿にと軟禁されました。
新王カール13世妃ヘドヴィクはものすごくフレデリカに同情して
カールの後の王はフレデリカの王子にして、フレデリカを摂政にしようと尽力しました。
けれどもフレデリカは一家揃って追放されることを望みました。
釈放後、グスタフ一家はフレデリカの故郷バーデンに落ち着きました。
でも妻の実家で居心地がわるかったのかしら? グスタフは出て行きたがりました。
フレデリカは「追放の身なんだから!」と子供をつくらないためにセックスを拒みまして
二人は翌年別居、その2年後に離婚しました。
ま、それだけが理由ではないと思うが…
離婚当時31歳のフレデリカは、妹のマリアと死別していた
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ・ヴィルヘルムや
王妃ルイーゼと死別していたプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に求婚されましたが
断って子供たちとバーデンで一生を送りました。
ちなみに、娘ソフィアの孫ヴィクトリアはベルナドッテ家のグスタフ5世妃になります。
義母ソフィアやカール13世妃ヘドヴィクとは生涯文通をしていたそうです。
渦巻く権力闘争の犠牲になりがちな女性同士で友情が芽生えるなんて素敵なことですね。
もう少し覇気があって「ついてこい!」というタイプの夫とだったら上手くいったかしら?
あるいはグスタフ4世に父王のような政治一筋で仕事に没頭する一面があればね…
セックスだけが夫婦円満の秘訣ではないってことで… とまとめてみました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)
グスタフ4世アドルフ妃 フレデリカ・アヴ・バーデン
1781~1826/在位 1797~1809
父王グスタフ3世の暗殺により急遽14歳で即位したグスタフ4世アドルフは
ロシアと同盟を結びたくて、自ら縁談をアレンジしていました。
パーヴェル1世公女アレクサンドラに求婚しましたが断られ
アレクサンドル1世妃エリザヴェータを姉に持つフレデリカと
19歳の時に結婚しました。
グスタフは気が弱く暗い少年でしたが、なぜかお妃選びには積極的。
なんでも美しい奥さんがほしかったんですって。
17歳の時にメクレンブルク=シュヴェリーン公女ルイーゼと縁談があって断られてますが
彼女は美しくなかったということで、ほっと胸をなでおろしたのではないでしょうか?
フレデリカは公子の公女で、王妃になるなんて考えていなかったのかも…
最低限の教育しか受けていません。
スウェーデンでは義母ソフィアに愛情深く接してもらうことができましたが
厳しい宮廷作法にも、侍女たちとの付き合い方にも馴染めませんでした。
グスタフ4世とフレデリカの仲は良くも悪くもなかったようですが…
なんて言うの…
グスタフは母親に似て内向的でよそよそしいタイプだったんだけれども
性的には積極的だったのね…
むっつりスケベですか? 妻が好きというより妻とのセックスが好き、という人で
朝になっても王妃の寝室係が入室できないことがしばしばありました。
議会(!)が妃の健康を考えるように止めようとしたこともありましたし
フレデリカも「疲れるわ~」とこぼしていました。
しかし疲れる一方でフレデリカはスウェーデンの自由なセックス事情に興味津々で
宮廷で見聞きしたあんなこと、こんなことを家族に書き送っていました。
送られた親はなんて返事を書いていたんでしょうね? そっちの方が興味あるわ。
さて、スウェーデンもこの後ナポレオン旋風に巻き込まれます。
ロシアからの脅威がせまりつつあったスウェーデンは、ロシアと手を組むか
フランスと手を組んでロシアと対抗するかの二者択一をせまられます。
ナポレオン大嫌い! なグスタフはロシアと協力関係を結ぶ方を選びました、が
いろいろあって、結局ロシアがフランスと密約を結んで和解してしまって
スウェーデンにもフランスと和平を結ぶように強制してきました。
この時フレデリカは姉の皇后エリザヴェータに言われてグスタフを説得しましたが
これによって夫婦仲が悪化しました。
グスタフはブルボン家の復活を願っていて、ナポレオンを皇帝と認めていなかったのね。
その後フランスにポンメルンを奪われ、ロシアにフィンランドを奪われと
次々に外交で失敗したグスタフは、1809年に廃位されました。
グスタフはグリプスホルム城に、フレデリカと子供たちはハーガ宮殿にと軟禁されました。
新王カール13世妃ヘドヴィクはものすごくフレデリカに同情して
カールの後の王はフレデリカの王子にして、フレデリカを摂政にしようと尽力しました。
けれどもフレデリカは一家揃って追放されることを望みました。
釈放後、グスタフ一家はフレデリカの故郷バーデンに落ち着きました。
でも妻の実家で居心地がわるかったのかしら? グスタフは出て行きたがりました。
フレデリカは「追放の身なんだから!」と子供をつくらないためにセックスを拒みまして
二人は翌年別居、その2年後に離婚しました。
ま、それだけが理由ではないと思うが…
離婚当時31歳のフレデリカは、妹のマリアと死別していた
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フリードリヒ・ヴィルヘルムや
王妃ルイーゼと死別していたプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に求婚されましたが
断って子供たちとバーデンで一生を送りました。
ちなみに、娘ソフィアの孫ヴィクトリアはベルナドッテ家のグスタフ5世妃になります。
義母ソフィアやカール13世妃ヘドヴィクとは生涯文通をしていたそうです。
渦巻く権力闘争の犠牲になりがちな女性同士で友情が芽生えるなんて素敵なことですね。
もう少し覇気があって「ついてこい!」というタイプの夫とだったら上手くいったかしら?
あるいはグスタフ4世に父王のような政治一筋で仕事に没頭する一面があればね…
セックスだけが夫婦円満の秘訣ではないってことで… とまとめてみました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)