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スウェーデン王カール14世妃 デジデリア

2011-09-22 23:15:59 | スウェーデン王妃
玉の輿の哀しい真相
カール14世妃 デジデリア “ デジレ ” クラリー


1777~1860/在位 (スウェーデン・ノルウェー王妃)1818~1844

私は今までカール14世ヨハンをナポレオンの傀儡だと思っていましたが
どうやら思い違いだったみたいです。

たしかにジャン・バプティスト・ベルナドッテ(カール14世)はナポレオン軍の元帥で
フランス軍で功績をあげていましたが(かいつまんで言うと)王になるにあたっては
ナポレオンに北欧連合を組織しようとしているという誤解をうけないように派遣された
メルナー中尉が先走って、軍人受けのよかったジャンと会談しちゃったことが発端で
ナポレオンが無理に推したわけではないみたいです。

しかも王になるにあたってナポレオンからフランスに敵対しないように言われ
「スウェーデン王になったらスウェーデンの国益のために戦う」と答えています。
男気がある方ね!

そんなカール14世の妃は、絹商人フランソワ・クラリーの娘デジレです。
姉のジュリーはナポレオンの兄のスペイン王ホセ(ジョゼフ)妃です。
どっちかというと、カール14世妃としてより、ナポレオンの元カノとして有名ですよね。
        
長くなるのではしょるけど、デジレの兄が革命政府に逮捕された時
デジレがジョセフに頼んで釈放してもらったのね。
ジョセフがジュリーと結婚した後、デジレはナポレオンに紹介されて婚約したんだけど
ジョゼフィーヌの登場で破棄されちゃったと…
その3年後にフランスでジャン・バプティストと出会い結婚いたしました。

婚約は破棄されましたけど、デジレはナポレオン一家と良好な関係を結んでいて
自分のポジションを奪われたジョゼフィーヌとも仲良くしていたそうです。
ナポレオン一家の女性陣はジョゼフィーヌが嫌いでデジレを仲間に引き入れようとしましたが
デジレは中立でいたいと断りました。

こんなエピソードがあります。
ナポレオンの戴冠式の日、ナポレオンの姉妹がジョゼフィーヌのトレーンを持つ役で
引っ張って転ばせようとしたのですが、デジレはそれを防いで助けたそうです。
いい人ね、 私なら一緒になって転ばせると思うが…

さてさて結婚後、ナポレオン軍の元帥だったジャンは留守がちでした。
裕福とはいえ商人の娘だったデジレは、ジュリーのおかげでロイヤルになれて
舞い上がったみたいですね。
社交界や宮廷訪問なんかでセレブな毎日を満喫し、どうやら浮気もしてたみたいです。

だからきっとデジレは「パリこそ自分の居るべき場所」と思っちゃったんじゃないかしら?
その後のデジレの行動をざっくり書きますね。
ジャン・バプティストは1804年にハノーヴァー総督に就任しましたが
デジレはハンブルクへ移るやいなやパリが恋しくなってすぐ帰ってしまいました。

ジャンが1806年にポンテコルヴォ公になった時には「行きたくないなぁ…」と思っていたら
「来なくていい」と言われて胸をなでおろしました。

そして、ジャンが1810年にスウェーデンの王太子に選ばれた時には
さすがに行かねばね!ってわけで出向いたのですが、スウェーデン宮廷に馴染めず
それになにより寒いのがキライ、ということで冬になるとパリに帰ってしまいました。

デジレは別にスウェーデンの王妃になんてなりたくなかったし、家族の側にいたかったし…
ということでその後12年、夫と息子と離れてパリに居続けました。
ジャンもその方が好都合と考えてまして、無理に呼び寄せませんでした。

スウェーデンでは前王妃へドヴィクをはじめとする貴族たちが、デジレのことを
俗物で軽薄だと見なして相手にしていませんでしたし
デジレの方も「スウェーデン貴族は氷みたいに冷たい」といって嫌っていました。

ナポレオン失脚後に姉ジュリーのもとへ身を寄せた以外はパリに留まっていたデジレでしたが
大好きなパリも変わってしまいました。
ルイ18世の宮廷では、デジレは成り上がり者とあざ笑われてしまいました。
デジレも「スウェーデンに行っちゃおっかな」と考えましたが
夫のジャンはナポレオン・ファミリーと思われているデジレを来させませんでした。
マリアナ・コスクルっていう愛妾もいたしね…

1818年にジャンがカール14世として即位してからもスウェーデンには来ませんで
パリでリシュリュー公と恋に落ちておりました。

すごく長くなったので、ここから突っ走りますね

1822年、リシュリュー公が亡くなります。
1823年、息子オスカル(1世)の結婚式のためスウェーデンに短期滞在、
1829年に戴冠式を行ってスウェーデンで暮らし始めました。
すぐに飽きてパリに帰ろうとしましたが、この時はカール14世が許しませんでした。
パーティーや舞踏会で女主人役の王妃が必要だったのね。
けれども、カールとデジレは食事の時間も別々で、公の場でしか顔を会わせませんでした。

結局デジレの人気は下がる一方になったのですが、その理由をあげると
スウェーデン語を覚えようとしないで、使用人はフランス人をとりそろえ、
寝るのも起きるのも遅く、ナイトガウンで宮廷内を歩くという不品行、などなど…
パリでは当たり前のことがスウェーデンでは受け入れられなかったんですね。

1844年にカールが亡くなった後もなぜか海を恐れてスウェーデンに留まったデジレですが
帰りたいけど帰れないストレスのせいでしょうか? 行動が軌道を逸していきます。
昼夜が逆転して夜中に食事をし、真っ暗な城内を徘徊するようになりました。
奇妙な行いは、真夜中に正装してバルコニーにたたずんだり
街の通りから子供を連れて帰ったりとだんだんエスカレートしていきました。

夜中に宮殿のまわりを馬車で何周もしたりという、なんだか哀れを誘う晩年を送り
1860年に83歳で亡くなりました。
最後の日も、オペラが終わってから劇場を訪れたりしています。

スウェーデンサイドから見れば、いつまでもパリ、パリって… と怒りたくもなりましょう。
でも、人気者の旦那様から完全に “ ダメな嫁 ” の役をおしつけられた感はありますね。
パーフェクトに近い夫と愚かな妻… カール14世は一身に世間の同情を受けたことでしょう。

愛も信頼もない人から利用される人生…
本来なら羨まれる王妃でありながら、本当に哀れに思えてなりません。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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