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これぞ王妃!の贅沢三昧
フレデリク3世妃 ソフィー・アマリエ
アフ・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1628~1685/在位 (デンマーク・ノルウェー王妃)1648~1670
ソフィーはブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ゲオルクの娘で
デンマーク王クリスチャン3世の曾々孫にあたります。
甥は大英帝国王ジョージ1世、息子はイギリス女王アンの婿、
娘はスウェーデン王カール11世妃…華やかな家系図ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/23/3a24f1cf3e8c5e74c5c47e61f5de5f17.jpg)
1640年ソフィーと結婚した時、四男のフレデリクは王太子ではありませんでした。
当時フレデリクはブレーメン主教で、ふたりは慎ましやかな生活を送っていました。
ところが、フレデリクの兄の三男クリスチャン(長男と次男は夭逝)が亡くなり
フレデリクが王太子になって、さらに翌1648年に王に即位すると
ソフィーの生活は一変します。
クリスチャン4世が築いたデンマークの繁栄は、相次ぐスウェーデンへの敗北で
下降線をたどり、国の財政も厳しくなっていました。
でもそれは男の世界のことよね!ということか、ソフィーは宮廷ライフを満喫します。
まずは豪華な家具調度、別注の限定品もバンバン購入。
それから連日連夜の舞踏会や芝居などを催して、ドレスも次から次へと手に入れます。
1649年には、宮廷をフランスやドイツのようにお洒落にしようと改装に手を付け
ものすごい量の注文品が運び込まれるは、新しい使用人がやって来るはのやりたい放題。
ドイツの聖職者やフランスの四重奏者、バレリーナなども雇い入れました。
イベントの無い日は無く、自分や子供たちも劇に出演したりしています。
フレデリクは内向的な人だったので宮廷はソフィーの独壇場でした。
それに家臣に追従されたり、お気に入りに褒美を与えたりするのが大好き…
前王クリスチャン4世時代に、自分を差し置いてファーストレディの役目を果たしていた
フレデリクの義妹が許せず、王妃になってからは絶対に一緒に過ごそうとしませんでした。
なんだか裸の王様タイプの女性じゃありません?
政治でも主導権がとりたかったらしく、夫や息子が即位した時には
かなり影響力を及ぼしたみたいです。
フレデリク3世は、デンマークに絶対王政を確立した王ですが
これもソフィーの入れ知恵らしいし、スウェーデンとの開戦も彼女の差し金らしい…
負けちゃうんだけどね。
これだけわがまま放題のエピソードばかりで
マリー・アントワネットみたいに糾弾されない、というのが不思議ですね?
それどころか、ソフィーは一時、大の人気者になったんですよ!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
スウェーデンの包囲がコペンハーゲンにまで迫った時
ソフィーは人道的援助を行い、市民の士気も高まってなんとか首都を死守しました。
ソフィーは最高潮の人気を利用して、 すかさず気に入らない貴族から屋敷を没収します。
また、ファーストレディの役目を奪われていたレオノーラを夫とともに逮捕して
死ぬまで解放しませんでした。
1670年、フレデリク3世が亡くなり、未成年の息子が即位しました。
しかし、こんなに Going my way な人に政治を任せるのは危険極まりないですよね?
というわけで摂政にはなれませんでした。
それでもしばらくは息子の政治にがんがん口を出していたようですけど
そのうち何も知らされなくなり、表舞台からは退きました。
でも家族の中では…
息子の嫁の作法が気に入らずぶつかってばかり、と
相変わらずパワフルな姑ぶりを発揮します。
ソフィーは、フレデリク3世が亡くなる前の年からアマリエンボー宮殿の建築にとりかかり
すごい勢いで1673年までに建てさせました。
「夫の力が及ぶうちに…」ってことですか?
未亡人になってからはほとんどの時間をそこで過ごしました。
息子や嫁は「城、建てといて良かったね」と思ったかもしいれませんね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp23.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1a/54ebeb6d432a4749f9fc7ba1dc3e8fde.jpg)
慎ましい頃(?)の肖像画
ほっそりしているのに…贅沢しすぎちゃったかしら?
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
フレデリク3世妃 ソフィー・アマリエ
アフ・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1628~1685/在位 (デンマーク・ノルウェー王妃)1648~1670
ソフィーはブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ゲオルクの娘で
デンマーク王クリスチャン3世の曾々孫にあたります。
甥は大英帝国王ジョージ1世、息子はイギリス女王アンの婿、
娘はスウェーデン王カール11世妃…華やかな家系図ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/23/3a24f1cf3e8c5e74c5c47e61f5de5f17.jpg)
1640年ソフィーと結婚した時、四男のフレデリクは王太子ではありませんでした。
当時フレデリクはブレーメン主教で、ふたりは慎ましやかな生活を送っていました。
ところが、フレデリクの兄の三男クリスチャン(長男と次男は夭逝)が亡くなり
フレデリクが王太子になって、さらに翌1648年に王に即位すると
ソフィーの生活は一変します。
クリスチャン4世が築いたデンマークの繁栄は、相次ぐスウェーデンへの敗北で
下降線をたどり、国の財政も厳しくなっていました。
でもそれは男の世界のことよね!ということか、ソフィーは宮廷ライフを満喫します。
まずは豪華な家具調度、別注の限定品もバンバン購入。
それから連日連夜の舞踏会や芝居などを催して、ドレスも次から次へと手に入れます。
1649年には、宮廷をフランスやドイツのようにお洒落にしようと改装に手を付け
ものすごい量の注文品が運び込まれるは、新しい使用人がやって来るはのやりたい放題。
ドイツの聖職者やフランスの四重奏者、バレリーナなども雇い入れました。
イベントの無い日は無く、自分や子供たちも劇に出演したりしています。
フレデリクは内向的な人だったので宮廷はソフィーの独壇場でした。
それに家臣に追従されたり、お気に入りに褒美を与えたりするのが大好き…
前王クリスチャン4世時代に、自分を差し置いてファーストレディの役目を果たしていた
フレデリクの義妹が許せず、王妃になってからは絶対に一緒に過ごそうとしませんでした。
なんだか裸の王様タイプの女性じゃありません?
政治でも主導権がとりたかったらしく、夫や息子が即位した時には
かなり影響力を及ぼしたみたいです。
フレデリク3世は、デンマークに絶対王政を確立した王ですが
これもソフィーの入れ知恵らしいし、スウェーデンとの開戦も彼女の差し金らしい…
負けちゃうんだけどね。
これだけわがまま放題のエピソードばかりで
マリー・アントワネットみたいに糾弾されない、というのが不思議ですね?
それどころか、ソフィーは一時、大の人気者になったんですよ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
スウェーデンの包囲がコペンハーゲンにまで迫った時
ソフィーは人道的援助を行い、市民の士気も高まってなんとか首都を死守しました。
ソフィーは最高潮の人気を利用して、 すかさず気に入らない貴族から屋敷を没収します。
また、ファーストレディの役目を奪われていたレオノーラを夫とともに逮捕して
死ぬまで解放しませんでした。
1670年、フレデリク3世が亡くなり、未成年の息子が即位しました。
しかし、こんなに Going my way な人に政治を任せるのは危険極まりないですよね?
というわけで摂政にはなれませんでした。
それでもしばらくは息子の政治にがんがん口を出していたようですけど
そのうち何も知らされなくなり、表舞台からは退きました。
でも家族の中では…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
相変わらずパワフルな姑ぶりを発揮します。
ソフィーは、フレデリク3世が亡くなる前の年からアマリエンボー宮殿の建築にとりかかり
すごい勢いで1673年までに建てさせました。
「夫の力が及ぶうちに…」ってことですか?
未亡人になってからはほとんどの時間をそこで過ごしました。
息子や嫁は「城、建てといて良かったね」と思ったかもしいれませんね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp23.gif)
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慎ましい頃(?)の肖像画
ほっそりしているのに…贅沢しすぎちゃったかしら?
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)