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スウェーデン王グスタフ5世妃 ヴィクトリア

2011-10-12 23:31:03 | スウェーデン王妃
寒さに弱い北国の王妃
グスタフ5世妃 ヴィクトリア・アヴ・バーデン


1862~1930/在位 1907~1930

日本にもいらっしゃったことがあるというグスタフ5世は
各国で王公家廃止論の嵐が吹き荒れる中、とても国民に人気がある王でした。
果たしてヴィクトリアはその国王に相応しい王妃だったのでしょうか?

ヴィクトリアはバーデン大公フリードリヒ1世の公女です。
グスタフ4世とフレデリカ・アヴ・バーデンの曾孫にあたります。

         
小さな頃から結婚の約束ができていたのか、グスタフと一緒に育てられました。
だけど、1881年に結婚した二人の仲はあまり上手くいかなかったようです。

ヴィクトリアは健康状態がとても悪かったんですね。
気管支炎か結核を患っていたと言われていますが
虐待や子供時代にドイツで受けた厳しすぎる教育の後遺症、などの説もあります。

それで度々療養の旅に出ていたのですが
1892年に主治医になったアクセル・ムンセがとんでもないことを~!
ムンセはヴィクトリアに「冬の間イタリアで過ごしなさい」と薦めました。

そこで1901年、ヴィクトリアはカプリへ出かけます。
大歓迎とスウェーデンにはない暖かな気候が気に入ってしまったヴィクトリアは
(第一次世界大戦中を除いて)毎年数ヶ月をカプリで過ごすようになりました。
しまいにゃあ城まで購入する始末…
眺望良好な田舎風の城で、Casa Caprile といいまして、今ではホテルになっております。

で、カプリにはもちろん主治医のムンセも同行してました。
ヴィクトリアは毎朝ムンセの宿泊先を訪れて島を散歩したり
二人でミニコンサートを開いたりしておりました。
また、二人して動物大好き!というわけで、ムンセが鳥の楽園バルバロッサ山を
購入する時には、積極的にサポートしてあげました。

スウェーデンではグスタフ5世が、請願デモを行った農民の前で演説したり
王権復活を阻む政府のデモに対抗して学生デモを支援したり
第一次大戦を前に、ノルウェーやデンマークと中立を貫こうとネゴってみたり
第二次大戦を前にヒトラーに手紙を書いて評判を落としたり…と
なんだか大変な毎日を送っているというのに… のんきですな
二人が恋人だったかどうかは、今のところ謎でございます。

ヴィクトリアは夫グスタフが中立を堅持しようと奮闘する中
第一次大戦中も親ドイツの姿勢をとっていまして、人気を落としていました。

1930年、例によってカプリにいたヴィクトリアは、健康状態が悪化しました。
ムンセはスウェーデンに帰国することを薦めましたが
ローマの別宅に移り、そこで亡くなりました。
1928年にグスタフ5世の70歳のバースデーに出たきり、スウェーデンには帰っておりません。
寒いからって、王妃が南国へ逃げ出してどうする? 王家存続も危うい時に…

なんだか悪いことばっかり書いちゃったけど、ものすご~く女性らしい人で
そこは賞讃されていたらしいです。

それから、芸術面に関しては、歴代のスウェーデン王妃の中で
最も才能があったのではないかと言われています。
写真家、画家としての評価は高く、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は
楽譜無しで、完璧にピアノで弾けたらしいです。

ヴェルサイユ時代のフランスや、ハプスブルク帝国全盛期みたいな王家に嫁いでいたら
きっともてはやされて、宮廷で人気者の王妃になったことでしょう。
登場するのが200年ぐらい遅かったかもね…

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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