まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王アフォンソ5世妃 イサベル

2010-05-15 00:35:06 | ポルトガル王妃
政変まっただ中の恋愛結婚
アフォンソ5世妃 イサベル・デ・アヴィシュ


1432~1455/在位 1447~1455

イサベルの父親は、アフォンソ5世の摂政コインブラ公ペドロで
アフォンソ5世とイサベルはいとこ同士になります。

       

父親は摂政で宮廷にいることが多いし、小さな頃から一緒に育ったんでしょうね。
ふたりは愛し合うようになり、13歳の時に婚約しました。
もしや、これはコインブラ公の作戦かしら?

この婚約に怒ったのはブラガンザ公アフォンソです。
ブラガンザ公はジョアン1世と愛妾イネス・ペレスの庶子で
孫とアフォンソ5世を結婚させて王座に食い込みたいと考えていました。

先を越されたもので、ブラガンザ公は少年王にコインブラ公の野望を吹き込み
反抗心をあおることにします。
ちなみに、アフォンソをブラガンザ公に叙位したのはコインブラ公なんですよ。

アフォンソ5世は15歳になると、イサベルと結婚はしたんだけど
義父コインブラ公を疎んじるようになり、とうとう反逆者と言い出しました。

コインブラ公は商人をはじめとする上流ブルジョワジーの味方だったってことで
王党派の領主たちは快く思っていなかったという背景もあります。

1449年、コインブラ公は内乱の最中に亡くなります( 暗殺説があります)
イサベルの兄弟たちも追放されました。

せっかく愛する人と結ばれても家族がこんな目に遭わされるんじゃ…
「結婚なんかしなきゃよかった!」ってことになりませんかね?

それでもアフォンソ5世のイサベルへの愛は冷めなかったようです。

1455年、コインブラ公の罪が晴れ、イサベルは宮廷で祝宴を開きました。
イサベルが代わりに統治していた領土に兄弟たちも戻って来ます。
嬉しかったでしょうねぇ。
反逆者の娘として生きるのって、けっこうきついと思うけよ。

それなのに、祝宴からしばらくするとイサベルは23歳の若さで急死しました。
毒殺かもしれない…ってことでございます。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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