
姉のあとを継ぐ
マヌエル1世妃 マリア・デ・アラゴン・イ・カステーラ
1482~1517/在位 1500~1517
マリアは姉イサベルが亡くなって2年後、王子ミゲルが亡くなったことで
イベリア半島連合王国構想の希望を失いかけたマヌエル1世に嫁ぎました。

父のフェルナンド2世と母イサベル1世は
マリアをスコットランド王ジェームズ4世に嫁がせるつもりでした。
でも、アフリカに続いてインドまで航路を伸ばし(by.ヴァスコ・ダ・ガマ)
莫大な富を握っているポルトガルを捨て置くわけにはいきませんね!
とりあえずイングランドにカタリナを嫁がせる話も進行していたので
敵対するスコットランドの方はペンディングし、マリアをマヌエル1世に嫁がせました。
ふたりには6人のお子様が生まれています。
よかった、後継ぎも安泰だね、と思いきや…王女イサベルの結婚が
後に、ハプスブルク家に付け入る隙を与えることに
マリアは最後に王子を生んだ1年後に34歳で亡くなりました。
姪もあとを継ぐ
マヌエル1世妃 レオノール・デ・アウストリア
1498~1558/在位 (ポルトガル王妃)1518~1521 (フランス王妃)1530~1547
そんなわけで、マリアの死後は姪のレオノールが嫁いでまいりました。
マヌエル1世の死後、フランス王妃になりました。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
マヌエル1世妃 マリア・デ・アラゴン・イ・カステーラ
1482~1517/在位 1500~1517
マリアは姉イサベルが亡くなって2年後、王子ミゲルが亡くなったことで
イベリア半島連合王国構想の希望を失いかけたマヌエル1世に嫁ぎました。

父のフェルナンド2世と母イサベル1世は
マリアをスコットランド王ジェームズ4世に嫁がせるつもりでした。
でも、アフリカに続いてインドまで航路を伸ばし(by.ヴァスコ・ダ・ガマ)
莫大な富を握っているポルトガルを捨て置くわけにはいきませんね!
とりあえずイングランドにカタリナを嫁がせる話も進行していたので
敵対するスコットランドの方はペンディングし、マリアをマヌエル1世に嫁がせました。
ふたりには6人のお子様が生まれています。
よかった、後継ぎも安泰だね、と思いきや…王女イサベルの結婚が
後に、ハプスブルク家に付け入る隙を与えることに

マリアは最後に王子を生んだ1年後に34歳で亡くなりました。
姪もあとを継ぐ
マヌエル1世妃 レオノール・デ・アウストリア
1498~1558/在位 (ポルトガル王妃)1518~1521 (フランス王妃)1530~1547
そんなわけで、マリアの死後は姪のレオノールが嫁いでまいりました。
マヌエル1世の死後、フランス王妃になりました。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)