まりっぺのお気楽読書

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フランス王フランソワ1世妃 アリエノール

2009-03-05 01:22:02 | フランス王妃・王女
静かなる平和の使者
フランソワ1世妃 アリエノール・ドートリッシュ


1498~1558/在位 1530~1547

フランソワ1世には数人の愛妾がいたので再婚しなくても…なんて思いますが
それはそれ、ということで前妃クロードの死から6年後に
カスティーリャ王女でポルトガル王マヌエル1世の未亡人アリエノールと再婚します。

カスティーリャ王フェリペ1世の王女たちは神聖ローマ、ハンガリー、デンマークに
それぞれ王妃として嫁いでいます。
アリエノールの母は有名なカスティーリャ女王ファナ・ラ・ローカ
母方の祖母はスペイン統一で教科書にも登場するイサベル1世です。

       

アリエノールももちろん王妃として嫁がせるべくイングランドのヘンリー7世、次いで8世
フランスのルイ12世、ポーランド王ジグムント1世などとの縁談をまとめようとしましたが
うまくいかずやっと(といっても20歳)1518年ポルトガル王マヌエル1世の
3人目の妃として嫁ぎました。

3年後にマヌエル1世が亡くなり未亡人となっていたアリエノールは
32歳でフランソワ1世と再婚します。
これは当時険悪だったフランス王と神聖ローマ皇帝(アリエノールの弟カール5世)の
和平工作だったと思われます。

フランソワ1世はカール5世とローマ皇帝の座を争ったこともあり
またイタリアの覇権をかけて戦ってもいました。
統一されたばかりのスペインを含むハプスブルク家の強大な領土や権力に
嫉妬もしたでしょうし怖れを感じていたかもしれません。

アリエノールもクロード同様宮廷ではなんら力を持ちませんでしたが
(まだ義母も義姉も元気だったんですよぉ
度々フランスと神聖ローマ帝国の仲介役をかってでました。
アリエノールはカール5世のお気に入りの姉だったのです。
きっと優しいお姉さんだったんでしょうね。

1558年、アリエノールは和平のために訪れていた
スペインのバダホスからの帰途で亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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