スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvsオカンと僕のvs三丁目の夕陽ってか?

2017年10月24日 | 自分的エッセー
オカンと僕の三丁目の夕陽〜ー

台風の過ぎた休みの今日は、痴呆の認定の為に医者の検診に向かう!
流石にディサービスの様に送迎は無いので、どうしても送っていかないといけないのです。
歩いていける距離ではちょっと遠く、車で行くには近い距離を、僕は無謀にも痴呆のオカンとのチャリタンデムを選択しました。
いい大人なら車に乗せて、それも成功した野郎ならベンツにでも乗せて、まともな大人ならタクシーでも呼んで、連れて行くのが本筋であろうが、
ツーアウト満塁のピンチの今、僕の選択はチャリの二人乗りという事だった!

後ろから手を回すオカンの握力はちょっとしかないし、身体を僕に預けるという意味は全く理解してないので、結構危険極まりないように思うが、
「ぎゅっと握って、絶対に手をはなすな!」と言い続ける。
痩せた見たいねお母さんでも無い。
戯れに母を背負いて、そのあまり軽きに驚く〜〜でも無い!僕は三歩以上歩けるぞ!
要するにオカンの本能に問うてみるのだった。
落ちるー痛いー怪我するが、無意識の中にでもあるのか?を身内として唯一試したのだろうかと、後で理由をつけてみる。

又「母上ーーチャリで申し訳ございません!
この息子の甲斐しょの無さをお許しを!」と言う気持ちもある事はあるのですが、私はこんな事しかできませぬ、「母上申し訳ありませぬ!」と思いながらチャリを漕いでいないのです。
それよりも田舎の派出所の警官が、チャリで事件現場に向かう様な、瀬戸内の島の漁師町で産気づく嫁を残して産婆を呼びに行くアンちゃんの様に、まだ持ち物で人間の成功が謳われなかった、あの三丁目の夕陽の時代に痴呆のオカンを連れて行ってあげたかったのだ。
収入で人間を比べなかったあの頃に!

オカンにも安全では無い分だけ、自分の無意識の中でなんとかしようと言う力が湧いてくる事を期待しているし、今、オカンも多くの物を持たない分だけ、暑さ寒さに関心が湧くし、すれ違う人の顔の表情にもその人の苦楽がわかっていると思う。

町内を痴呆のオカンを乗せてチャリを漕ぐ姿は、可哀想にと写っているのかもしれないが、僕と痴呆のオカンには、通りの家からの流れる夕飯の匂いと、知り合いの叔父やんがかける「ええな~オカン、何処へ行くねん?」の野次が、三丁目の夕陽にテレポートさせてくれた。

何処に行くのかもわからない痴呆のオカンは、さぞ必死にしがみついていると思いきや、手を振って愛想を振りまいているとは〜!
そしてチャリの後ろの荷台には、やっぱり座布団を括りつけるべきだったと僕は反省する。

(画像動画は幼馴染の八百屋が撮影してくれた)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とにかく生きてみるvs僕は信... | トップ | とにかく生きてみるvsヤフオ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自分的エッセー」カテゴリの最新記事