MAMMA ちょっと 元気になれる かもしれない処

箱根西麓の山の上で 自然な生き方を模索する日々

稚内

2019-06-29 16:31:48 | komako

毎日外で仕事をしていると、一日があっという間に過ぎていきます。

やることはいくらでもあるので、私には退屈という言葉を感じることもなく、

まあまあ健康的な生活をおくっているのだと思います。

しかし、時々は違う景色や音や空気を感じるために、自分に旅を課すことにしていて、

今週は北海道の稚内に行って来ました。

飛行機なら三島を8時のこだまに乗って稚内には13時に着きますが、私は飛行機が苦手、

どうしてもという時以外は、乗りません。

今回は三島を6:57のこだまで出発し、特急電車を乗り継いで旭川に17:55着。

翌朝旭川発9:00の宗谷に乗り、稚内に12:50頃着きました。

毎度のお気楽一人旅なので、行きは歩いて納沙布岬まで行くことにしました。

不思議な建物があるなあと見に行くと、それが北防波堤ドーム、

途中昆布を干してあったり、面白い経験をしたりして、岬に到着。

うっすらと利尻富士らしき姿が見えたような気がします。

帰りに稚内公園に行くと、終戦時の樺太からの引揚者を偲ぶ「氷雪の門」や」「九人の乙女の碑」

「南極観測樺太犬の訓練記念碑」等々、知らなかったことばかりに遭遇しました。

宿泊地は宗谷岬、稚内の駅からバスで50分くらいかかります。

宗谷岬公園にも多くのモニュメントがあり、順番に見て回りましたが、

風が強くなってきたのでペンションに向かいました。

夕食の前に散歩に行くと、港にはたくさんのタコ取り漁船が並んでいて、

色鮮やかな大漁旗がなびいていました。

この日は町のお祭りだったそうで、家々のガラス戸には紙で作った桜花が飾られていました。

7時半頃が日没ということでしたが、私は食べるのが遅いので夕日はあきらめました。

食事が終わってもまだ少し明るかったので、日本最北端の地の碑を見に行ったら、

ライトアップされていて幻想的な風景でした。

 19:51

左の像は、樺太を探検した間宮林蔵、旅に出たのは29歳だったそうです。

北緯45度31分22秒と刻まれた碑、ここから43キロの彼方に樺太があるのです。

樺太、サハリン、今まで言葉でしか知らなかったことを、現実の物として初めて考えました。

翌朝の日の出は3時45分頃と聞き、見るつもりはなかったのですが、早く目が覚めました。

カーテンを開けると雲間から太陽、この時間でもうこんなに高いんだと驚きました。

 4:47

稚内二日目、8時半のバスに乗って駅近くで降り、樺太記念館に行きました。

ビデオもあり、3時間じっくりと見学して来ましたが、知らなかったことばかり。

樺太が元々はアイヌをはじめとした先住民族の土地だったこと、日露戦争後の発展、

そして8月15日の戦争終結後のソ連軍侵攻、前日見た多くの碑とつながりました。

横綱大鵬も引揚者で、母親の具合が悪くなったおかげで一命をとりとめたという事実に、

数えきれないドラマがあったのだなと思いました。

13:01発の特急は、少し遅れて出発し、途中鹿が出てきて急停止、

次は緊急ブレーキが作動して急停止、結局34分遅れで旭川に着きました。

電車は時間通りに来て当然のように考えていましたが、今回の経験で、

やはり余裕を持った計画が大事なんだと気づかされました。

3日目は岩見沢のホテルに宿泊、札幌とは違って人が少なく、静かでした。

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