ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ボサノバに テンションかけるか 演歌の心

2006-06-09 03:29:04 | 南アメリカ


 安易に、かつ、あんまりセンス良くも無く、2流の割にはお洒落ぶった流行り歌のアレンジに登用されているのなど聞くと、ボサノバなるリズム、日本人の感性の非力な部分に似合いの軟弱物件なのかなあと、わが若き日、思い切りウンザリさせられたものである。

 おい、ドラマーよ!な~にをしたり顔で上品ぶってドラムのフチをコツコツ叩いているのだ。お前は何をやりたくて太鼓叩きになったのだ、軟弱者めが!などとボサノバの存在そのものにも、大いに因縁をつけさせてもらったものだ。

 今、時を経て音楽ファンとしての経験も積み、かの音楽の奥深さ、恐ろしさなども、それなりに見えてきているつもりである。例えば今、目の前にある斯道の大家、ジョアン・ジルベルトのCD、これは日本編集なのかな、「ジョアン・ジルベルトの伝説」なる物件。

 1950年代から始まって、デビュー当時のジルベルトのレコーディングを集めたものだが、なんとも玄妙というか、所詮、他民族には理解の叶わぬ深遠なる文化の所産なんだなと溜息をつかされるような作品が目白押しである。どれも、実に短い。ほとんどが2分足らずの演奏時間。絶妙なるギターとさりげない歌いぶり。

 サラッと歌ってスッと退場するそのありようは、まるで俳句か何かの世界を髣髴とさせる。分かりやすい表現をしているように見せておきながら、勘所を掴もうとするとスルリと逃げていってしまう。
 
 その一方で、私はジョアン・ジルベルトに関する、ある音楽ライターのこんな文章を読んだ事がある。あ、もちろん、日本の音楽ライターね。いわく、

 「ヘッドホンを付けて、フル・ボリュームでジルベルトのギターを聴いてごらんよ。ボサノバ・ギターがレッド・ツェッペリンにも負けないほどのテンションを秘めている事が分かるだろう」

 ・・・。そんな不自然な実験をする気もないが、なんでボサノバに、ハード・ロック並みのテンションを求めなければならないのか。聴く音楽を間違えているだろう、それは。何もそこまで無理してまでボサノバを聴くこともあるまい。

 やっぱりボサノバと日本人が関わると、恥ずかしい事になってしまうなあ、冒頭に述べた安易な流用も含めて。

 異民族が洗練と退廃の果てに生み出した、言ってしまえば異形の音楽を、表面の口当たりの良さだけ拾ってきて都合の良いように使う。真髄を捉えたような顔をしたくなると、場違いな価値観を無理やりに当てはめてみたりする。もしかしてボサノバ、恥をかく結果になること必至なので、うっかり近付かない方が無事な代物と心得るべきかも知れない。まあ、この文章も含めて。




ラテン東京!

2006-06-07 04:54:07 | いわゆる日記


 昭和30年代、日本は空前のラテン音楽ブームにあった。町のいたるところで、ラテンのヒット曲が流れていたものである。

 そのブームは、プレスリーが、ベンチャーズが、ビートルズがやって来ても終わらなかった。
 事は音楽のみでなく、全日本人が骨がらみラテン文化に魅せられてしまったのである。

 サラリーマンはラテン鬚を生やし、ソンブレロをかぶって会社へ向かい、女性たちは当たり前のようにフラメンコを習った。

 あまりの国民の熱中振りに、ついに政府も国民にラテン名での戸籍登録を認めざるを得なくなった。フランチェスコ中村やセルジオエンドリコ高橋といった戸籍上の本名を持つ、純日本人が大量発生したのである。

 かって一種の国技とまで言われたプロ野球は人気薄ゆえに廃止され、そのトップ球団だったジャイアンツのフランチャイズ、後楽園球場の跡地に数万人収容の”東京ドーム”なる巨大な闘牛場が作られた。

 湘南にドライブに来た若者たちは「湘南海岸の風景って、なんかメキシコ湾に似てるよね」と笑顔を見せる。
 そしてついに悪乗りした日本人は、霞ヶ関に官庁街としてサグラダ・ファミリア教会のまがい物を、本家より早めに完成させてしまったのだ。

 その日、日本は国際的にも”ラテン系の国”と公認をされる事となった。ブエノス・ノーチェス東京!ソラメンテ・ウナ・ベス。



BGMが合いませんが

2006-06-06 02:52:29 | 音楽論など


 日曜日の夕刻、テレビの料理番組において。
 その土地土地の家庭料理を紹介するコーナーで、BGMにR&B歌手、ベン・E・キングのヒット曲である「スタンド・バイ・ミー」が使われているのが、なんか納得できないと言うか落ち着かない気分にさせられてしまう。

 例えば、土地の漁師の間に伝わる料理を紹介なんて場面で、それは使われるのだ。
 オカアチャンたちが港の一隅に集まり、新鮮な海の幸を利用した鍋料理なんかを作っている。野菜が刻まれ、魚介が鍋に放り込まれる。鍋を囲んだ皆の笑顔。
 そんなのどかな光景のバックに、かのR&Bのスタンダード曲が当たり前のように毎週、流されているのだが、なんとも不釣合いに思える。

 スタンド・バイ・ミーといえば、一つのコード進行の繰り返しのうちにシンプルなメロディを繰り返し繰り返し歌い上げて行き、聞く者を陶酔方向に持って行く、いかにもルーツたるゴスペル音楽の響きを大きく残した、ある意味、アメリカ黒人の非常にドメスティックなポップスと言える。

 なんでそれが、日本の土地土地の庶民の暮らしのぬくもりを伝える番組のBGMに毎週決まって流されるのか。違和感を感じて仕方が無いのだが。
 民族音楽研究の大家、故・小泉文夫氏も再三、この種の違和感について書いていた。例えば時代劇のバックに、ヨーロッパのクラシック音楽のための楽器主体で奏でられる西洋風の音楽がBGMとして鳴り響くのはいかがなものか、と。

 提示される画面に流れる民族の血と西洋音楽は、いかにもそぐわないではないか。なぜそんな無神経な事をして平気でいられるのか。気持ち悪くないか、ええ?

 今回の”スタンド・バイ・ミー”の件に関して裏事情を想像するに、外国の映画か何かで、野外で料理など作る場面でこの曲が流れる、そんなシーンがあったのではないか。そして番組製作者は、映画を見た者同士の了解事項として、同じように野外で料理に興ずるシーンにスタンド・バイ・ミーを平気で流してしまっている、と。そしてその映画を見ていない私は、そのBGMに大いに違和感を抱いてしまった、と。

 でも、番組制作を何度か繰り返すうちに違和感を感じ始めてもよさそうな気がするんだがなあ。上のように裏事情を想定しても、やっぱり変だと思うよ、土地の自慢のナントカ汁と”スタンド・バイ・ミー”の組み合わせは。自分で気持ち悪くないか、出来上がった番組のリプレイを見て。番組制作者よ。

 この種のこと、安易にどこでも行われているけど、音楽の国境を敢えて超える作業と、単なる無神経とは違うと思うなあ、うん。なんて事をいくら書いても「そんなの、普通にどこでもあることじゃん?なにをグダグダいってるんだよ?」なんて反応しか返ってこないんだけど。



電獣ヴァヴェリ

2006-06-04 03:36:43 | いわゆる日記


 ”電獣ヴァヴェリ”フレドリック・ブラウン著

 宇宙の果てからやって来た、電気そのものを食用にする、目に見えない生物。彼らが、人類の発する電気のすべてを発電するそばから食べてしまうので、人類は電気製品普及以前の生活に、無理やり引き戻されてしまう。

 で、人類はパニックになる・・・という話ではないのだ。電気のある生活を奪われた人々は、テレビやラジオをはじめとした騒々しい近代生活から開放され、沈黙のすばらしさを再認識し、あるいは読書に、あるいは自転車愛好にと、古きよき人生の楽しみを取り戻してゆく、といった話だ。

 現実を考えれば、そんな風にはならないだろう。電気なしに、ここまで膨れ上がってしまった人類の生活を、支えきれるものではない。我々の日々は、崩壊に向けて崩れ落ちてゆくだろう。が、これは、1960年代に人類の行く末を儚んで書かれた、後ろ向きの心優しいファンタジィなのだ。

 友人に誘われ、アマチュアバンド(もちろん、電気楽器は無しだ)への参加を決めた主人公が古いフルートを取り出し、「ソフトな、哀調をおびた短調の小曲」を試しに吹いてみるラストの澄んだ叙情が、たまらなく愛しい。

(短編集・「天使と宇宙船(創元文庫)」所収)





ハワイの地霊、歌う

2006-06-03 01:42:35 | 太平洋地域


 ”FACING FUTURE” by ISRAEL KAMAKAWIWO'OLE

 風にひらひら舞うような可憐なメロディを裏声混じりのハワイアン独特の歌唱法で歌われて「そのディープな歌声が」なんて批評をしたくなるのも、この人くらいのものかも知れない。深く土に根ざした美しい歌声が、天高くどこまでも舞い上がって行く。

 ともかく、その体型が凄い。上に掲げたCDのジャケ写真をごらんいただきたいが、ほとんど縦横同じ寸法の真四角のシルエット。ここまで太れば、そりゃ、歌もディープになるでしょう、理屈になっていないが。
 その巨体でちっちゃなウクレレを抱えて歌う姿は、まるでギャグ。聞こえてくる音楽は素晴らしいものであるが、もちろん。

 結局彼はこの超肥満体ゆえの無理が体にたたり、38年の短い生涯しか送れない事になるのだが、残された音源を聞くたび、まったく惜しい事をしたと言うより無いのである。

 今日化された伝承歌と、ハワイアン化されたジャズやその他のポップスの混在。古きハワイの文化の現代化がまったく自然に行なえてしまう人だった。先に述べたごとく、実にディープな手さばきを持って。

 自らが属するハワイの原住民族の伝統を強力に意識した音楽活動を行なった人物でもあった。
 1993年に発売されたセカンド・アルバム”Facing Future”に収められている ”Hawai'i 78”は、奪われたハワイ民族の血と地の神についての歌で、ハワイ主権復興運動について考え始める、良いきっかけになるだろう。

 日本の相撲界で活躍するハワイ出身の力士たちをテーマにした歌、「楽園の雷」というヒット曲が彼にはあり、それに対するジョーク半分の評価が行なわれているのが、ちょっと残念な気がする。というか、その程度しか彼が聞かれていない現実が淋し過ぎるのであるが。

 Facing Future のジャケに記された Israel の言葉を、最後に挙げておく。

 ~~~~~

Facing backwards I see the past
Our nation gained, our nation lost
Our sovereignty gone
Our lands gone
All traded for the promise of progress
What would they say.....
What can we say?
Facing future I see hope
Hope that we will survive
Hope that we will prosper
Hope that once again we will reap the blessings of this magical land
For without hope I cannot live
Remember the past but do not dwell there
Face the future where all our hopes stand

 ~~~~~




ナポリの大道芸

2006-06-02 03:41:37 | ヨーロッパ


”A Pusteggia” by NANDO CITARELLA

 副題に”Neapolitan Street Music”とあり。イタリアはナポリの街路芸人の音楽を今日によみがえらせたアルバムのようだ。

 演者は、ナポリのトラディショナル・ミュージック界の第一人者たち。内ジャケに収録された彼らのまとった伝統的衣装が、収められた音楽の”只者で無さ”を強力に証言している。ある者は権力者に扮し、ある者は色男に扮し、誰も皮肉たっぷりなポーズをとって。

 太陽の恵みをその内に豊富に秘めた南国のメロディが、かの地特有といっていいのか、朗々たる歌声によって歌い上げられ、風刺と諧謔に満ち溢れた毒が、猥雑きわまる歌い口で吐き散らかされる。

 打ち鳴らされる南イタリア独特の大型タンバリンによるタランテッラのリズムが聞く者の血を騒がせ、昔日のナポリの町の喧騒が鮮やかに目の前に浮かんでくる。

 このようなスタイルは、よほど普遍的に存在していたのだろうか。ヴィスコンティの映画、「ベニスに死す」に登場して、皮肉な警句を連発して主人公を悩ませた道化の歌手の一行などを連想せずにはいられない。

 ナポリという町が伝統的に持つ”濃さ”が強烈に匂う一枚となっている。