ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

BGMが合いませんが

2006-06-06 02:52:29 | 音楽論など


 日曜日の夕刻、テレビの料理番組において。
 その土地土地の家庭料理を紹介するコーナーで、BGMにR&B歌手、ベン・E・キングのヒット曲である「スタンド・バイ・ミー」が使われているのが、なんか納得できないと言うか落ち着かない気分にさせられてしまう。

 例えば、土地の漁師の間に伝わる料理を紹介なんて場面で、それは使われるのだ。
 オカアチャンたちが港の一隅に集まり、新鮮な海の幸を利用した鍋料理なんかを作っている。野菜が刻まれ、魚介が鍋に放り込まれる。鍋を囲んだ皆の笑顔。
 そんなのどかな光景のバックに、かのR&Bのスタンダード曲が当たり前のように毎週、流されているのだが、なんとも不釣合いに思える。

 スタンド・バイ・ミーといえば、一つのコード進行の繰り返しのうちにシンプルなメロディを繰り返し繰り返し歌い上げて行き、聞く者を陶酔方向に持って行く、いかにもルーツたるゴスペル音楽の響きを大きく残した、ある意味、アメリカ黒人の非常にドメスティックなポップスと言える。

 なんでそれが、日本の土地土地の庶民の暮らしのぬくもりを伝える番組のBGMに毎週決まって流されるのか。違和感を感じて仕方が無いのだが。
 民族音楽研究の大家、故・小泉文夫氏も再三、この種の違和感について書いていた。例えば時代劇のバックに、ヨーロッパのクラシック音楽のための楽器主体で奏でられる西洋風の音楽がBGMとして鳴り響くのはいかがなものか、と。

 提示される画面に流れる民族の血と西洋音楽は、いかにもそぐわないではないか。なぜそんな無神経な事をして平気でいられるのか。気持ち悪くないか、ええ?

 今回の”スタンド・バイ・ミー”の件に関して裏事情を想像するに、外国の映画か何かで、野外で料理など作る場面でこの曲が流れる、そんなシーンがあったのではないか。そして番組製作者は、映画を見た者同士の了解事項として、同じように野外で料理に興ずるシーンにスタンド・バイ・ミーを平気で流してしまっている、と。そしてその映画を見ていない私は、そのBGMに大いに違和感を抱いてしまった、と。

 でも、番組制作を何度か繰り返すうちに違和感を感じ始めてもよさそうな気がするんだがなあ。上のように裏事情を想定しても、やっぱり変だと思うよ、土地の自慢のナントカ汁と”スタンド・バイ・ミー”の組み合わせは。自分で気持ち悪くないか、出来上がった番組のリプレイを見て。番組制作者よ。

 この種のこと、安易にどこでも行われているけど、音楽の国境を敢えて超える作業と、単なる無神経とは違うと思うなあ、うん。なんて事をいくら書いても「そんなの、普通にどこでもあることじゃん?なにをグダグダいってるんだよ?」なんて反応しか返ってこないんだけど。