昭和30年代、日本は空前のラテン音楽ブームにあった。町のいたるところで、ラテンのヒット曲が流れていたものである。
そのブームは、プレスリーが、ベンチャーズが、ビートルズがやって来ても終わらなかった。
事は音楽のみでなく、全日本人が骨がらみラテン文化に魅せられてしまったのである。
サラリーマンはラテン鬚を生やし、ソンブレロをかぶって会社へ向かい、女性たちは当たり前のようにフラメンコを習った。
あまりの国民の熱中振りに、ついに政府も国民にラテン名での戸籍登録を認めざるを得なくなった。フランチェスコ中村やセルジオエンドリコ高橋といった戸籍上の本名を持つ、純日本人が大量発生したのである。
かって一種の国技とまで言われたプロ野球は人気薄ゆえに廃止され、そのトップ球団だったジャイアンツのフランチャイズ、後楽園球場の跡地に数万人収容の”東京ドーム”なる巨大な闘牛場が作られた。
湘南にドライブに来た若者たちは「湘南海岸の風景って、なんかメキシコ湾に似てるよね」と笑顔を見せる。
そしてついに悪乗りした日本人は、霞ヶ関に官庁街としてサグラダ・ファミリア教会のまがい物を、本家より早めに完成させてしまったのだ。
その日、日本は国際的にも”ラテン系の国”と公認をされる事となった。ブエノス・ノーチェス東京!ソラメンテ・ウナ・ベス。