ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アクロス・ザ・ボーダーライン

2007-08-09 03:02:24 | 北アメリカ


 ライ・クーダーのファン・コミュニティに、彼の初期3作、つまり”1st””Into The Purple Valley ””Boomer's Story ”の3枚のアルバムに関して書き込みがあったので、さっそく私も呼応したつもりのコメントを下のように書き込んだのでした。私もその辺が好きなんでねえ。

 ~~~~~

 1st以来、ほぼリアルタイムでライのファンをやってきましたが、今となってはこの3枚だけあればいいって感じですね。実際、この3枚だけCDで買い直して聴き返していますが、それ以降の作品は、アナログ盤置き場の中でほこりをかぶったままです。

 この3枚の滋味、ひときわ深い!セピア色に霞む風景のむこうに、噛めば噛むほど味わいの深い音楽世界が広がっています。あちこちライの導きによって音楽の旅をしたものだけど、いつの間にかここに帰ってきてしまっている。心のふるさとって奴ですかねえ。

 ~~~~~

 まあ、しかし・・・(笑)こんな、「ライは初期の3枚だけあればいい」なんて意見は、ライ・クーダー好きが集まる場に発表するには辛口過ぎましょうねえ。

 いや私も、あの輝ける”70年代”に次々に発表されたライの新譜をリアルタイムで追っていた頃は、どのアルバムも素晴らしい出来と感じていたんです。メキシコ音楽、ハワイ音楽、あるいは沖縄の音楽への関心の示しよう、などなど・・・
 ライがその卓越したギター・テクニックと鋭い音楽センスとで次々に扉を開いて見せてくれた音楽の新世界は、どれも新鮮な驚きに満ちていたものです。

 が、70年代も後半に至ると、ライの”3枚目以降”のアルバムになんだか輝きを感じられなくなってしまった私なのでした。
 その頃になると、ライの”その後の新譜”もまた、なんだかくすんだ印象しか、私には与えてくれなくなってしまった。いや、それら新譜がパッとしないゆえ、旧作にも疑いの視線が向いてしまったのかも知れません。

 かっては、”俺は音楽の水先案内人じゃない”とか、新しい”世界の音楽”の紹介を彼に求めるファンたちに苛立ちを表明していたライですが、その後の、”Bop Till You Drop ”あたりからはじまる”R&B路線”は、なんだか挑むべき新しい音楽ネタが見つからないゆえの、あんまり面白くない苦し紛れの時間稼ぎみたいに感じられていました。
 さらにその後の映画音楽製作に至っては、まるで”余生の仕事”にしか見えなかった、私には。
 
 結局、初期の3枚で展開されていたアメリカ合衆国の大衆音楽の古層を掘り起こす作業現場こそが、ライ・クーダーというミュージシャンの個性に見合った、本来の活動の場であったんじゃないですかね。あの、1930年代、ウディ・ガスリーが歌ったダストボウル・バラッドと白黒庶民混合文化のモノクロームの世界。

 ライが国境線を越えて行った、今の言葉で言えばワールドミュージック的作業は、彼の音楽家としての個性には、実はあまり向いていない仕事だったとはいえないでしょうか。国境線の向こうは、夢見るだけにしておけば良かった世界であり。でも、そこは若気の至りもあり。抗しがたい好奇心もあり。そしてライには、無理めの音楽でもどうにか格好をつけてしまえる技術とセンスがあった。

 だからライはギター一本担いでライはフラリと砂漠の向こうの町めざして旅立ち・・・その結末をどう締めくくったらいいのか分からなくなってしまった、ってのが、実は彼のほんとの消息ではないか、なんて思ったりするのですがね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。