ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

日系人ポップスの夜明け

2006-10-21 03:20:49 | 太平洋地域


 ”MODERN SONGS OF JAPAN”

 1950年代、つまり太平洋戦争が終わってまださほど経たない時期に、ハワイの日系2世の人々によって吹き込まれた”日本のポップス”集です。

 歌手たちばかりでなく、バックのオーケストラまで2世の人々によって構成されていたようだ。
 日本の懐メロ中心の構成だけど、当時の日系人たちの間で愛好されていた音楽の平均値はこの辺にあるのだろうか?ともかく数年前まではその”故国”は敵国でもあったのであって、その辺はどうなのか?

 とか、いろいろ気になる面はあるのですが、ともかく非常に温泉気分の作品集となっております。どの曲も、旅館の浴衣を着た団体客がホカホカ立てる湯の香が香るような、そんな至福感が伝わってきます。

 日本の歌謡曲が内包していた東アジアの土着の感触や湿り気は、ハワイの空気のうちで昇華され抽象化され、ひたすらのどかな鼻歌気分が支配している。”ひばりのマドロスさん”みたいな、潮の香も漂う身軽な旅人気分の歌がぴったりはまるみたいですな。

 それにしても粛然とした気分にさせられてしまうのは、やっぱりハワイの日系人ポップスの代名詞みたいになっている”別れの磯千鳥”の一曲。
 これは、日本でだったら昔風の可憐な歌声の女性歌手か、あるいはギター抱えたバタヤンこと田端義夫氏が、いなせに肩をゆすりながら歌い上げるのが常道でしょうが、ここでは男女混声の数名のコーラスによって歌われています。

 といっても、”合唱団”なんて堅苦しいものじゃないですな。アロハやらムームーやらを身にまとった近所のオジサンオバサンが集まってきて気ままにコーラスしている感じ。このルーズなコーラスからモヤモヤと湧き上がる至福感、そして裏腹に漂う哀感などなど。

 これはもう、日本の歌謡曲の範疇にはないものです。
 手触りはすでにハワイの伝統音楽に近いものとなっている。その中で、彼らの親の世代が後にしてきた”古き日本”は、ゆっくりとその姿を溶解させて行く。そして何か別のもの、2世たちが培った、新しい時代に生きる”ハワイ人としての日本民族”の感性が静かに花開いている。

 「オッケー、そちらはそちらで、何とかやっているんだな。こちらもこちらで、パッとはしないがなんとか生きてるよ。皆によろしく」そんな、受取人もない手紙の一つも過去に向けて出してみたくなる、不思議な懐かしさとエキゾチシズムが交錯する時間が過ぎていったのでした。


 PLAYLIST

GOMEN-NASAI
RINGO NO HANA WA SAITA KED
MUSUME SENDO-SAN
RINGO MURA KARA
OTOMI-SAN
WAKARE NO ISOCHIDORI
INA NO KOI-UTA
YU-HI WA HARUKA
HIBARI NO MADOROSU-SAN
ORANDDA YASHIKI NO HANA
RINGO OIWAKE
YU-HI AKAI HO





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