ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アフリカの神が降臨した頃

2008-09-13 21:17:01 | アフリカ


 ”African Scream Contest ”
 <Raw & Psychedelic Afro Beat From Benin & Togo 70's>

 数日前に、「スライ・ストーンの屈託も知らずに呑気に音楽形式だけ流用して軽薄に盛り上がる”お手軽ファンク”なんか大嫌いだ」、とかなんとか書いた私でありますが、この盤は良いよ!

 60年代末から70年代初めにかけて、西アフリカはベニンとトーゴ両国で燃え上がったいくつもの”ご当地ファンクバンド”のレコーディングを再録したアルバム。
 つまり、アメリカ合衆国々内のアフロ=アメリカンの人々の間で発生したファンクなる濃厚なダンスミュージックが大西洋を渡ってアフリカに逆輸入というか先祖がえりをし、アフリカの人々にも広く愛好され演奏され踊られた、その記録である。

 で、聴いてみた感想なんですが、工夫のない言い方で恐縮ですが、60年代と70年代の狭間、アフリカのこのあたりのファンク・シーンは凄い事になっていたんだね!
 アメリカのファンクバンドの影響が、どのようにして当時の西アフリカにもたらされ、どのように受け入れられたのか、詳しい話は付属の小冊子に書いてあるみたいなんだけど、英語なんで面倒でまだ読んでいない。申し訳ない。ちなみにこのCDはドイツの編集盤。

 海を渡った音楽を聴く際の楽しみに”誤読を味わう”というのがある。
 たとえばこの盤に収められた演奏から、当時のアフリカの人々がいかにアメリカのファンクミュージックを誤解しつつ受け入れて行ったか、なんてあたりを楽しむわけで。

 実際、ここで聴かれる西アフリカ製の”ファンクミュージック”は、本場アメリカのそれとは、やる側は同じつもりだったかもしれないが結果としては相当に見当はずれなものになっているものが多い。
 まあ、我々も我が国の60年代グループサウンズの音楽を聴く際、当時の日本人の感性によって誤読されたロックミュージックを笑って楽しむ、なんて事をしますな。

 けど、この場合の”誤読”は最高の結果をもたらしているのだった、意外にも。

 たとえば、冒頭に収められた”Lokonon Andre & Les Volcans”の演奏などは、西アフリカ風に変形してしまった”ファンクミュージック”の演奏が、とてつもなくかっこ良いアフリカ特有のダンス・ミュージックを結果として生み出してしまっている。
 アタマの、無伴奏の強力に渋い歌声に始まり、無骨にスイングする演奏が脈打つリズムを送り込むタイミングといい、黒く、地を這うような重いビートといい、これはまるで全盛期のナイジェリアのフジ・ミュージックあたりに極めて近い演奏と言えるだろう。

 ここでは、アメリカのファンク・サウンドをアフリカ風に捻じ曲げつつ模しているうちにミュージシャンたちの上にアフリカの祖霊が降臨して来る、アフリカの伝統音楽の真髄に触れてしまっている、そんな素晴らしい瞬間を何度も味わうことが出来る。
 その後に続くバンドたちも各々のやり方で、同じように熱く美しい”アフリカの声”を発するに至ってしまっているのであって。こんなに美しい瞬間の連続は、たまりませんな。

 あくまでもミュージシャン当人たちは、彼らのヒーローたるアメリカのファンクバンドに近付きたいと一途に思ってやっていただけなのに、というあたりがまた素敵だ。自覚がないままにとんでもない事をやっていた、その辺の間合いがね。
 これらのバンドたちの活躍はひと時の花火と終わってしまったようで、これが契機となって現地独自のポップスが生まれたりシーンとして成立はしなかったのは、なんとも惜しく思われるのだった。

 まあ、あの地域も大衆音楽を育むどころではない時期も長かったわけで。このあたりは複雑な気分ですなあ。
 というか、ここまで黒く脈打つ、禍々しいまでの切れ味を示すアフロ・ポップスが今日ではあまり聴けなくなっている事実もまた、残念に思える次第。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。