ネット上の知り合いの”バッキンガム爺さん”さんのところでうかがったのだが・・・いまどきの”自分はローリング・ストーンズ通である”と自称する連中においては、
>どうしても『ベガーズ・バンケット』『レット・イット・ブリード』
>『メイン・ストリート』そして『スティッキー・フィンガーズ』じゃないと
>ストーンズではない
なんて事になっているそうなのである。
な~にを言っておるのかと。いまどきの”自分たちはストーンズのコアなマニアである”などと自称している連中は、まさに”半可通”の典型例みたいな奴らなんだなと、私は呆れてしまったのである。情けなくなってしまったのである。
何も分かっておらん。バンケットからフィンガースまでだと?ああ、嫌になるくらい普通のロック観をお持ちで、まことに結構なお話でございますなあ。
そんなものを”傑作”として褒めそやす感性、なんて月並みな”ロック理解”なんだろう。
そんな退屈な価値観しか持ち合わせないなら、ストーンズの理解者ぶるなどやめておくがいい、片腹痛いわい。
そんな凡庸なロック観を並べ立ててストーンズの通のような気分になっている連中がでかい顔をしているのがマニアの世界とは、いまどきのストーンズ・ファンも不幸だ。
ストーンズが最高だったのは、ブライアン・ジョーンズがメンバーだった頃、彼が生きていた頃、それに決まっているじゃないか。60年代、あの”スゥインギン・ロンドン”の熱くてヤバい空気が伝わってくるようなヒット曲群、あの妖気漂うスリリングな感触を理解できないのか!
あそこでブライアンがかき鳴らしていたVOX製のビワ型ギターの、ブルース・ハープの、スライドギターの、そして時にはシタールやマリンバの響きの、聖なる猥雑さが聞き取れないのか?
ストーンズとはすなわちブライアン・ジョーンズなのであって、彼の死後のストーンズなど、単なる出しガラに過ぎない。
”バンケット”から始まる70年代の一連のストーンズ作品、そのラフでタフなブルース・ロックの響きを評価したがる気持ちもわからないでもない。正直を言えば私も、”メインストリート”の発表当時、そのアーシーなロックの響きに、その出来上がりの見事さに舌を巻いた記憶はある。
だがしかし、同時に、不思議も感じた。そんなに良い出来上がりのロックのアルバムであるにもかかわらず、なぜ自分は、このアルバムに愛着を感じないのか?
今なら、その答えは簡単に分かる。そこにブライアン・ジョーンズがいないからだ。
ストーンズの一連の70年代作品。それは実は遠い昔、まだロンドンの不良少年だったブライアンが夢見たロックの道の果てに、当然の帰着として現われたものに過ぎない。ミックもキースも、とうの昔にあの世に旅立った者の引いたレールにただ乗り込んで旅をしただけ、それだけに過ぎないのだ。
そこに素晴らしいサウンドはあっても、そこに核となる魂が不在だ。だから私は”メインストリート”を客観的評価はしても愛することは出来なかった。
そして・・・だから見ろ、ストーンズはいつの間にやら歌う蝋人形、クリエイティヴな側面など見るべくもない、単なる”大企業”と化してしまったではないか。
もう一度言う。実はブライアンがストーンズだ。ブライアンだけがストーンズだ。だから、ストーンズが最高だった頃は、ブライアンが生きていた60年代でしかありえないのだ。
ストーンズのこと、良く知りませんが、文面より、スケープゴートされたブライアン・ジョーンズをこそ聴かねばなぁと思いました。
Paint It Black の、シタールバージョンだけ記憶に残ってますが、あれはブライアン・ジョーンズでしたか?
シタールの他にもブライアンは、マリンバとかダルシマーとか、ワールドミュージックな楽器をいろいろとストーンズに持ち込んだ嬉しい人でした。
それより何より彼の”遺作”は、モロッコのトランスミュージックのフィールドレコーディングですからねえ。たまりませんよ。