ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ブラッドベリのいない夏

2012-06-08 16:18:08 | いわゆる日記

 例えば彼の作品に「マチスのポーカーチップの目」というのがあり、この作品名を目にするたび、私の頭の中には南欧風の海岸が広がり、光まばゆいその海の水平線のあたりに巨大なポーカーチップが浮かんでいる、なんてシュール関係の画家が描いたみたいな風景が広がるのだが、まあ、小説の中身はこの夢想とはなんの関係もないものだ。

 先日来のネット上の知人たちの書き込みで、SF作家のレイ・ブラッドベリが亡くなった事を知った。まだ直接に死亡記事など読んでいないので死因等、詳しいことは知らないのだが、相当の年齢でもあったことだし、遅かれ早かれ、というところでもある。急いで詳細を検める気もない。何年か経ってから詳細を知り、「あ、そうだったのか」と思うんでも構わないじゃないか。死者相手の急ぎの用事があるわけでもなし。などとうそぶいては見るのだが、死亡記事をあえてみたくもない、という気分なのかも知れない。

 彼の作品は、熱狂的なSFファンだった中学生の頃から、当然、愛読していた。「好きな作品は?」と問われれば、「どれも」とでも答えるしかないが、どちらかと言えば、功なり名を遂げてからの文学性高いファンタジィよりも、若書きというのか、いかにもいかがわしい安雑誌にホラー味の高い怪しげな短編を書き飛ばしていた、”うさんくさいパルプ作家”だった頃の、異世界に向けた歪んだ情熱が窺える作品が好きだ。

 彼が日本のSF雑誌のインタビューを受けた際のエピソード。談話は楽しく進み、その終わりに彼は満面の笑みを浮かべて言ったのだそうな。
 「ねえ、日本とアメリカはこんなに仲がいいんだから、日本はアメリカの一部になってしまえばいいのに」
 なんの裏の意図もない発言である。ブラッドベリの諸作品から読み取れるように、彼に政治への関心は皆無である。日本びいきの彼の、まったくの好意から出た発言なのであろう。「ねえ、こんなに仲がいいんだから一緒になってしまえば、もっと楽しいよ」 
 もう”大作家”と呼ばれるようになってからの発言である。この果てしなき幼児性の発露よ。

 今年も夏がやってくる。ブラッドベリの夢想の中で鳴り響いていた、駆け回る少年たちのバスケット・シューズが謳う永遠の夏が。が、彼が「ロケットの夏」と名付けた、あの星々へと通ずる夏はどこへいった?
 私が彼の作品を読みふけっていた頃、今日のこの日付けあたり、もうとうに月や火星に人類の植民都市は出来ていたはずだった。

 いや。我々が地球でグズグズしているがゆえに、火星の人々は、昔と変わらぬ平和な暮らしを営んでいられるのだろう。今日の天文学では存在しないことになっている火星の運河に、水晶の船を浮かべて。
 何十年ぶりかで火星に帰りついたブラッドベリの魂は、火星人たちに優しく迎えられているだろうか。昔ながらのブラスバンドが奏でる「海の宝石コロンビア」の演奏を聴き、とうにこの世のものではないはずの懐かしい人々と、積もる話をしているのだろうか。