ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

エディ・藩を買わなかった日のブルース

2012-06-01 16:06:07 | 60~70年代音楽

 ”Neon City”by エディ藩

 某音楽誌の情報ページに、エディ藩の82年発表のソロ第2作アルバム、”ネオン・シティ”が紙ジャケだかデジリマだか、その種の話題付きで再、あるいは再々CD化された、との記述があった。で、こちらはなんともモヤモヤした気分をまた再燃させねばならなかったのだった。
 話はシンプルなものだ。もうずっと昔のこと。当方がロックを志したばかりの青少年だった頃、ファン、というよりはヒーローだったニューロック志向のグループサウンズ、”ゴールデンカップス”でギターを弾いていたエディ藩が、グループ脱退後に出したアルバムが再発になった、ということ。そして、そのアルバムを買おうか買うまいか、なんとも微妙な気分なのだ、という、それだけのこと。

 なに、気になるなら買ったらいのだが、そこに収められている音が当方にはとても納得できない音であるのを分かっているので、困っているのだ。
 そこには当時、非常に先鋭的と感じられたのだろう、洗練されたシティポップス仕立ての”ロック”が収められている、それはわかっている。おしゃれなコード進行、カチカチとはねまわる軽快なリズム、そしてカラッとカリフォルニアの空のようにクリアーに広がってゆくギターのフレーズ。
 あの頃、腕自慢のミュージシャンはこぞって、そんな音を出したがったものだ。フュージョンなんて音楽ももてはやされていたものだ。エディ藩もご多分に漏れず、そのようなサウンドを自らの音楽として選びとっていた。それだけの、よくある話。

 そして当方は、昔も今もそんな音は苦手なのだった。今回の”ネオン・シティ”を手に入れてみても、おそらく聴く気になれるのは”横浜ホンキートンク・ブルース”だけだろうと想像はつく。
 まだガキだったこちらが愛していたのは、たとえばゴールデンカップスが好んで演奏していた、ジットリと暗く重く湿った60年代末特有の”ニューロック”であり、その中枢メンバーであるエディ藩の奏でるやかましいファズのかかったサイケなギターだったのだ。
 これが、同じカップス同窓生でも、脱退以後も陳信輝などと組んで、”サイケの時代”とあまり変わらぬ音楽の中にいたルイズルイス加部とか、あるいは逆に、ゴダイゴなどという死ぬほど生ぬるい糞バンドに関わり、当方にはまったく興味のない世界の住人となってしまったミッキー吉野とかなら、こちらの取るべき態度もはっきりはできるのだが。

 エディ藩の場合は、そこが微妙なところなのだが、こちらが持っているエディ藩のイメージとは違うこれら80年代作品の中にも、何ごとか彼なりのルサンチマンが洗練されてしまった音の底に潜んでいるのではないか、なんて思い入れがある。なにか、聴いてみれば得るところがありはしないか。
 いや、そう思いたいだけなのだろう。まだ当方のうちに生き残っているカップス魂みたいなものが、未練の歌をエディ藩にかこつけて歌っているだけなのだろう。
 そして思う。”あのサイケの時代”にあって、今は失われてしまったものについて。

 それにしてもエディ本人はこの盤を制作当時は、そして今は、どのように自己評価しているのか。いや、思ってみても詮ないこと、もう時は過ぎて取り返しはつかない。結論は既に出て、その後、ステージは何サイクルも回ってしまったのだ。
 けれど私はこれらの盤を前にするたび、リアルタイムで発売を見た時とまるで変わらぬ逡巡に帰ってしまう。手に入れても好きになれないであろうと推測の付いているアルバムがいつまでも気になるのはなぜだ。そして我々はあのころ一体、何を夢見ていたのだろう。