”重奏”by 陳潔儀
香港の溜め息、なんて言い方をすると違う方向に誤解されそうだ。いや、ピンク色のほうじゃないんですよ。憂愁に沈みながら華やぐチムサァチョイの通りななどにふと目をやり、ネオンサインと人いきれと群衆の中の孤独が染み付いた、その輝く闇にふと深い溜め息をつく。なんて時の、その瞬間みたいなアルバムだ、という話をしたいわけです。
もうすっかり実力派ベテランシンガーのキット・チャンこと陳潔儀の、これが昨年リリースされた最新盤とのことで。いやあ、昨年手に入れてたら私、はずみで年間ベストのトップに持ってきたかもしれない。
人気も安定しているはずの彼女の、この盤が自主制作だというんで「え?意外と売れてないのかしら?」なんて驚いてしまったんだけど、いやいや、これは彼女が徹頭徹尾、個人の趣味で染め上げたいアルバムだったから、思い切り自分勝手のできる体制で制作に臨みたかったんだろうなと、アルバムを聴いてみればいっぺんで納得ができる。
これは彼女としては初のカバー・アルバムで、同じ香港の人気歌手たちの過去のヒット作をはじめとして、サイモン&ガーファンクルの曲までを取り上げています。つまりまあ、この辺りが彼女が個人的に愛好する曲たち、ということなんでしょう。
どの曲も美しいメロディのスロー・バラードばかりで、陳潔儀はそれらを、あるいは切々と、あるいはしみじみと、どれも本当にいとおしむ様子で心を込めて歌い上げています。
どの曲もシンプルなピアノ伴奏が基本で、それにコーラスやストリングスが遠くから絡む、そんな音作りなんで、香港の小さなクラブで深夜、陳潔儀が気ままに好きな歌を自分のペースで歌って行くのを、グラス片手に、心の底に静かに深い、”何か切ないもの”が降り積もるのを感じつつ聴いている、みたいな気分。
彼女がこの時期、このようなアルバムを作ったのは、どのような心の動きからなんでしょう。同じような時期に出た同じ香港のプルーデンス・ラウによる、やはり香港や台湾の男性歌手たちのヒット曲をカバーしたアルバム、”Love Addict”などと、あるいはこれは一昨年の作品ですが、やはり香港のリリー・チャンによるテレサ・テンのカバー集などと並べてみると、どれも似たような手触りを感じないでもないのです。
掌の中に握り締めている、ちっぽけなこの想い。今、打ち明けねば、明日には吹き寄せる風の中であっけなく消え失せてしまうかも知れない。そんな頼りなくも切実な思いを、愛する歌たちに託して、聴く者にそっと手渡そうとするかのような。
この切実さはどこから来るのか。彼女らが時代の裏に見ているものは何なのか。今、この時代のこの時間に、次々にこのようなアルバムが生まれる香港というのは、”返還”後、なんとなく立ち位置がぼけてしまったのだけれど、意外にまだ世界の最先端にいるのかも知れない。などと思わされた一枚だったのでした。