ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アフリカン・ファンク奇譚

2012-01-05 17:37:45 | アフリカ



 ”Bambara Mystic Soul”

 入院している母の見舞いに日々通っているのだが、隣のベッドの婆さんが連日、理学療法士というのか、リハビリ担当者に叱られているのに気がついた。
 なんの病気やら知らないがほとんど身動きできない状態の婆さんで、リハビリといってもベッドから寝椅子のようなものに降ろされて手足を少し動かすだけのもの。なおかつ、そのリハビリにもまるで積極的にならず、サボってベッドに戻ることばかり考えているようで、それに担当の、まだ若い療法士氏は腹を立てているようだった。

 彼は婆さんの耳元で何度も熱っぽく問いかけるのだ。なんのためにリハビリをやっているのか。病院に入院することの意義は何か。患者にリハビリを課すにあたっての、医学の理念とは何か。
 療法士氏は真面目な人なんだろう。理想に燃え、全てに本気でぶつからねばいられない熱血漢なのだろう。けどさあ。その状態のばあさんにそんな話をして、伝わるものなのかね、あなたの高邁な”正論”がさあ。
 と、病室のみんなは思っているに違いないのだが、もちろん口には出さないのだった。

 そんなばあさんの元に今日、スーツ姿の実直そうな男女が訪れた。あれれ、病院には似つかわしくない雰囲気だなあと思って見ていると、真ん中の、いかにも仕事のできそうな若い女性が婆さんの耳もとに口を寄せ、こういったのだ。
 「×××さん、××銀行でございます」
 おおおっ!と意外な展開に驚いていると、彼らは婆さんの目の前に書類を突きつけ、なにやら説明し、しかるべき場所にサインをさせる。どうやら彼らは婆さんの財産の管理を担当する仕事をしているようだった。それも、数人がかりで大仰な訪問をわざわざするくらいなのだから、ただ事ではない額の財産、と考えていいのではないか。

 彼らは財産運用に関する認可を貰いに来ている感じなのだが、婆さんのか細い「う~。あ~」という回答を聞いていると、彼らの話を理解できているとは思えない。「これ。ここを見て、×××さん。これですよ。分かる、××さん?」なんて話なんであるが。
 でもまあ、見物人のこちらがどうこう言う問題ではないわなあ。というか、財産の権利者は婆さん一人なのだろうか。あの状態でただ寝ているだけなのだから、そんなに巨額の財産はいらないだろんじゃないのか。
 欲しいよな。くれねえかなあ、俺に。

 なんてくだらねえことを考えているうちに老嬢×××の財産運用に関わる重要会議は終わり、(とうの婆さんの発言は終始、「うう。う~あ~」というだけのものだった)銀行員たちは帰っていった。そんな彼らをよく見れば、若手と言えるのは主に婆さんに語りかけていた女性社員だけであり、それ以外の連中はどいつも支店長で通りそうな貫禄の年配の男たちだった。どういう意味の人選であるのか。
 そしてその数分後には、いつものリハビリとお説教の時間が婆さんを待っていたのだった。
 
 という話とは関係ないのだが、”Bambara Mystic Soul”である。
 アフリカ音楽マニアには説明もいるまい、ドイツの物好きなコレクターが、世界ポピュラー音楽史の大舞台からは外れた20世紀の西アフリカで人知れず(?)強力無比なファンク・ミュージックの炎を上げていたローカル・ヒーローたちの録音をCD化し、世に問うた”アナログ・アフリカ”の最新作だ。

 今回は1970年代のブルキナファソ音源とのこと。この国の音楽というものを、そもそも聴ける日が来ること自体、思ってもみなかったのだが。

 どの録音も、原型たるファンク・ミュージックの枠内から吹きこぼれそうなアフリカ臭さ、奇想天外なエネルギーが横溢していて痛快この上ないことは、もう繰り返すまでもない。当方の心にやたらと引っかかってくるのは、GSっぽいエコーを伴い響きわたるギターのフレーズや、チープな音色をむしろ誇るようにファンキーなフレーズを転げ回すオルガンのインプロヴィゼイションなのだった。

 なんという。なんという素晴らしくも無茶な世界。の素晴らしさよ。