ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

反オーディオ主義的音楽生活

2006-09-05 02:15:11 | いわゆる日記


「音にもうるさい音楽ファン」なんて人々がいて。と言うか、そっちの方がもしかしたら普通なのかも知れないが、どうも私は、昔ながらの音楽ファンながら「いわゆる音の良し悪し」って、ほとんど分からない。持っている”音を聞く装置”は、CDラジカセとカーステレオだけだが、それで十分満足しているし。でも、ほんとにみんな、”音質”って分かっているんだろうか?よく、だれそれの新譜は音がいいとか何とか言う会話がなされているが。

 また、そんな私が不思議に思っているのは、オーディオ・マニア向けの雑誌の方が音楽マニア向けの雑誌より、ずっと作りが立派で価格も高い事。オーデイオ・マニアの方が音楽マニアより金持ちであるのは確かなんだろうが、オーディオ・マニアっていわゆる音楽マニアなんだろうか?どうも、あの種の雑誌を手に取ってみても、”同じ人種”の感触が伝わってこないのだが。
 オーディオ・マニアが聴く音楽と言うのも、クラシックとかマニアなジャズとか、その方向であるようで。金持ちに対するやっかみ半分、「オーディオに凝る人は、聞くことで他人に差をつけやすい音楽を好む傾向がある」なんて憎まれ口など叩いてみたくなるが。

 などと妙な話を始めてしまったのも、若かりし頃、私は、それまで普通のオーディオで聞いていた愛聴盤を、ひょんなきっかけでカセットに入れ、ふと安いラジカセで聞いてみたら、その音の方が好もしかった、という体験があるのだ。つまり、チープな筈のラジオの再生音の方が快く聞こえた。それでいい、と言うのではなくて、その方が良かったんだ。厚ぼったいオーディオの音より、小さくまとまった(?)ラジオの音のほうが好もしく思えた。
 以来私は、高価なオーディオセットに背を向け、ラジカセお供にラジオ音主義者を貫いているのだが。良い音が分からない、と言うよりオーディオ的”良い音”より、ラジオの音が好きと主張すべきか。

 かなり前の話になるのだが、あれは技術畑の人だったかなあ、評論畑の人だったかなあ、とにかくオーディオ関係の偉い人が、その種の雑誌でコメントをしていた。「20万以下のオーディオなんて”ラジオ”ですよね、話にならない」とか。いかにも”ラジオの音”を軽蔑しきった、と言うかコメントする価値もない、みたいなニュアンスで。だいぶん前の話なんで、”20万”ていうのは”当時の価格で”だが。

 このコメントから考えるに、私の音質の嗜好は、オーディオ業界の”良い音追及”の価値体系からは無視されている。けどなあ、ラジオの音で音楽を楽しみたい人間もいるんだよ、確かに。音響の専門家には、ラジオ的な音ってのは一段劣ったもの、次善のもの、という認識しかないようだが。
 私のような趣向の者を相手に、「あくまでも”ラジオとしてのすばらしい音”を出すための高級再生装置」など開発して見る気はないのか?まあ、あまりにも少数派相手で、商売にならないかも知れないが。

 「オーケストラなど、広大な音の迫力を楽しみたい人は、高価なオーディオを欲するだろう」なんて意見もあるが、ロックと言うかポップスの世界にも”オーケストラの迫力”に相当する分厚い音世界で魅了する物件があって、これが言わずと知れたフィル・スペクター・サウンド。あれなんか広大な音像で迫る訳だが、もともとはラジオ用の音、しかも基本的にはモノラルの世界である。いくら迫力が欲しいからって、あれを高価なオーディオで聞く奴は・・・
 いや、いるか?いるかも知れん(笑)まあしかし、そりゃやっぱり退廃のタグイでしょうなあ。社会的地位を得てマイホーム・パパぶりを発揮する、かっての不良少年、高価なオーディオを購入、みたいな図。

 オーディオに凝る館でもあるらしい”ジャズ喫茶”なるものには私も青春時代、大分通ったが、とにかく自分の持っていない、とうぶん買えそうにないレコードが聞きたかったからであって、店のオーディオの音に興味を持ったことはなかった。店の機械は優先順位としては店のコーヒーの味以下(笑)むしろ、「なんでそんなにでかい音でレコードかけるのかなあ。うるせえなあ」とかさえ思っていたわけで、まあ徹頭徹尾、オーディオ趣味とは縁のない性格ですわ。
 
 さあ、こんな孤立無援のラジオ音主義者の、明日はどっちだ?