”Doug Kershaw ”
かって、アメリカのルーツ系のロックを聞いていた頃、”ケイジャン”というのはある種妖しげな法力を持った言葉だった。カントリー・ロックのハザマに納められた”ケイジャン風な演奏”という奴。それはなにやら妖しげな魅力を持って響き渡り、気になってならぬものだった。
その正体は定かには分からぬものの、キコキコと鳴り渡るバイオリンやまったりとしたアコーディオンの響き、そしてときおり聞こえる素っ頓狂な叫び声、などなど。それはアメリカの土俗の奥深くに鎮座まします秘密の一つに触れた気分にさせてくれるに十分なものだった。
なにやら本物はフランス語で歌われるらしい。アメリカ南部のルイジアナ州がケイジャン・ミュージックの本場で、そこはもともと”ルイの国”というくらいでフランス領の土地であり、独立時のアメリカに売却されたのである。そしてケイジャンはどうやら、残された”フランス系アメリカ人”たちのローカルポップスといっていいものらしい。
など分かってくると、こちらの不思議大好きの異文化への興味もいや増し、だが当時は本物のケイジャン・ミュージックに触れる機会もなく、”カントリー志向のロック連中の演奏するケイジャン風”を楽しむしかなったのだが。
そんな時期に登場したのが、本物のケイジャン・ピープルである、このダグ・カーショウなる男のヒット作、”ルイジアナマン”だった。
これまでの、アルバムに一曲だけ薬味程度の扱いで収められているのではない、頭から尻尾までびっしりケイジャンが詰まっているアルバムなのだ、なんとめでたいことであろうか。
そして飛び出してきたサウンドも、こちらの期待を大いに満たしてくれる奇怪にして素っ頓狂な土俗色濃いローカルポップだった。ダグの奏でるバイオリンは、期待にたがわぬ不気味なキコキコ音の連発であり、そのボーカルは、いかにも謎に満ちた異郷から響いてくるような、異様な野太い雄叫びだった。
音楽的には、ようするにえげつないほどディープで重たいカントリーロックであり、シンプル過ぎるコード進行の繰り返しが逆に妖しい土俗色を演出し、ドタドタとまったく洗練されないドラムスのビートに変なもの好きの血は騒いだ。
なによりダグのルックスが良い。名前は忘れたがメル・ブルックスの”ヤング・フランケンシュタイン”で気色の悪い城守りを演じた俳優、あれに似てるんだよ。異相のミュージシャン好きの当方としては、それだけで嬉しくなってしまう。
残念なことに、ダグの音楽をそれから継続して聴く機会もなく。というのは残念と言うよりきっちり彼の音楽を追いかけなかったこちらの怠慢というべきなのかも知れないが、いや、その後、彼の盤など簡単に手に入る状況はあったのかどうか。
ともあれ、私としては彼のアルバムに次に出会うのは、ある輸入レコード店の店頭で偶然にであり、そこの経営者は、初めてダグの音楽を聴いた頃には大学で机を並べて学んでいた関係だったのだから、それは長い月日が流れた。そして聴いてみたダグの演奏は、残念ながら70年代の、あの高揚はなく、すっかり薄味になってしまっていたのだが。
そこでもう一度、ダグの70年代のアルバム、あの”ルイジアナマン”を取り出して聴いてみる。やはり良い。そいつは土から取り出したばかりの泥の付いた野菜を「さあ食え」と鼻先に突きつけられるくらいの存在感を帯びており、彼以外のケイジャンミュージックを普通に聴けるようになった今でも、相当のあつかましさをもって屹立する個性的音楽なのである。