ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

先カンボジア・ロック期の終焉

2006-02-12 03:05:16 | アジア

 あっといけねーや、前回の島倉千代子の「愛のさざなみ」問題に関する文章で、せっかく考えていたエンディングの言葉を書き忘れてしまった。「いずれにせよこれは、日本のポップスが”先カンボジア・ロック期”にあった頃の話である」で終えるつもりでいたんでした、あの話は。なんか、一部の人たちの間でカンボジアのロックに興味が集まっているみたいなんで、古生物を語る際に良く聞く言葉、”先カンブリア期”にかけた洒落で終わろうかと。まあ、どうでもいいようなことではありますが。

 そのカンボジア・ロックにしても、まあ私、遅れをとっておりましてまるで聞いてないんで見当で話すしかないんだが、”ガレージっぽいサウンド”の面白さが評価されているんでしょ、つまり。
 で、島倉千代子が”R&Bに挑戦”した頃、わが日本も陰りを帯びつつもまだグループサウンズの人気がリアルタイムで進行中だったのであって。ガレージサウンド真っ盛りって事になるんでしょう、今日の評価では。でも当時、リアルタイムで「これはガレージサウンドである」なんて認識でグループサウンズを見ていた人はいないわけで。当たり前だが。そもそも当時、ガレージなる言葉と言うか概念がなかった。

 代わりに彼らを当時、どう認識していたかといえば、「実力派グループサウンズ」と本気で信じていた。「凄いもんだなあ。あんなふうにギターが弾けたらなあ」とか、憧れの目で見ていた。今、「この破壊的サウンド、日本のガレージサウンドの傑作じゃないっスか?リアルタイムで見ていたんでしょ?たまんないなあ」なんて物好きな青少年に言われ、苦笑してみせる当方であるが。だってしょうがないじゃないか、時の流れってのはそういうもんだよ。

 見る側になったり見られる側になったり。海のかなたの、そして時を隔てた見物人としてカンボジアのロックに接し、楽しむ一方で、見られる側のカンボジアの心情も経験上の想像がつく。長いこと生きているといろいろな事があるものですなあ。

 ではいったい、今の自分たちはここまでやって来てなにを手にしたのか、なんて自らに問うてみると、はなはだ心もとないものがありますな。今日のポップスに自分を仮託するなんて気には当然なれず、かといって「あの時代の熱さは失われてしまった」とかいうのは簡単だが、実際に過去に生きるとなったら、そりゃやっぱり退屈で物足りないでしょう。
 何を言いたいやらの分からないな、多分。書いているうちに分かって来るかと思ったんだが、実は。うーん・・・昔々の70年代、小沢昭一が「俺たちおじさんには今歌う歌がない」なんて歌を創唱したけど、あの歌、私にとっては日に日にリアルになってくる。と思ってからさえ長の年月が流れた。

 ああワシらはどこから来てどこへ行くのか・・・・